この日は犬山市にある桃太郎神社のコンクリート像(浅野祥雲作)の修復活動に参加する予定であった。しかし無念の雨。。。ペンキの乾きの問題があるので雨では作業できないのだ。
ということで、予定が空いた。
もし行けたら行きたいと思っていたのが、岐阜市歴史博物館で開かれている「岐阜の至宝」展である。父も行くというので2人で行くことになった。
岐阜市歴史博物館は斎藤道三、織田信長の居城として有名な岐阜城の麓の岐阜公園にある。
博物館のすぐ隣にある名和昆虫博物館は、父が昔から深く関わってきた。父の専門は昆虫で、実はコガネムシの新種を発見して名前がついていたりもする。
名和昆虫博物館には小さい頃によく訪れた。トノサマバッタのウッドクラフトをくれたりと大変お世話になった当時の館長であった名和秀雄先生はすでに他界されていたのは本当に残念だ。名和昆虫博物館初代館長の名和靖氏は、ギフチョウの命名者としても著名だ。
日本有数のこの昆虫博物館に入ること自体が数十年ぶりであり、あまり覚えていない。ものすごい数の、それも非常に美しく作られた全世界で採集された昆虫標本がある。海外の美しいモルフォチョウの標本など、とにかくたくさんある。
様々なナナフシやルリクワガタなどの生きた世界の貴重な昆虫も展示されている。やはりここはすごい。少年のようにワクワクしてしまった。
こちらはカブトムシの王様、ヘラクレスオオカブト。カッコイイが、おいしそうに昆虫ゼリーを吸う姿はなんとも微笑ましいような、ちょっとガッカリなような…。
後に知ったことであるが、建物内に展示されている柱は唐招提寺金堂で使われていたもので、シロアリ被害に遭って交換したものを、標本として引き取ったものなのだそうだ。
すぐとなりの歴史博物館へと移動する。
この特別展で特筆すべきは、美江寺の本尊である十一面観音が出品されていることだ。普段は4月18日の年に1日のみのご開帳であり、いずれお会いしたいと思いつつ、なかなか会えなかった観音である。
チケットを買って中に入ると、いきなり美江寺観音がドーンと真正面にいらっしゃって、思わず「おぉぉぉ!」と声を上げてしまった。
美江寺 十一面観音菩薩立像(天平時代)像高176.6cm 脱活乾漆 国重文
美江寺の十一面観音は、天平時代の作、というのも素晴らしいが、何よりも脱活乾漆像であることがすごい。なぜこの地に?とつい思ってしまう。
脱活乾漆像は天平時代に流行したが、漆を大量に使うために多くの資金が必要で、国家鎮護の気流高まった天平時代に国家事業でこそできた技とも言える。今に遺る天平時代の脱活乾漆像は、阿修羅像(興福寺)や不空羂索観音立像(東大寺)、盧舎那仏坐像(唐招提寺)を始めとして、ほとんどが奈良県周辺に集中している。奈良以外の近畿でも、葛井寺千手観音坐像(大阪府)など、少ない例しか遺っていない。地方でも、横浜市金沢区の龍華寺の例のように、かつては他にもあったとは思われるものの、遺されている例からしても相当に稀有と言える。
確かに岐阜というのは、愛知県出身者からしてもどこかあまり元気がないようなイメージが強い。しかし、もともとは古代より東山道や中山道という主要幹線道路が通っていた交通の要衝であった。名古屋市は今では三大都市とも言われ200万を超す人口を有するが、かつての主要幹線道路である東海道は熱田まで来たら船で三重方面へと渡ってしまっていたわけで、今の中心街を通っておらず、家康の清洲越しがなかったら今はどうだったのだろうか、という気もする。つまり、名古屋の本格的な発展は徳川以降であり、岐阜はそれよりもずっと昔から文化の交流する場所でもあったはずなのだ。あまり馬鹿にしてはいけないのである。
美江寺観音は予想よりもはるかに大きかった。表情がやや童顔というか幼い子どもを連想させるところがあるため、もっと小さいものなのかと思っていた。
顔の中央にキュっと集まったようでちょっとむくれたような童顔が非常に愛らしい。
髪の毛と胸に作られている瓔珞(ようらく 飾り)が気になる。これも乾漆で作られているのだろうか。乾漆像で瓔珞まで作るのは珍しいだろう。
それにしても堂々たる乾漆仏だ。ようやく出会えたことも嬉しいが、その素晴らしい造形に多いに感動した。
護国之寺 塑像仏頭(天平時代) 高さ28cm 県指定文化財
美江寺観音がこの岐阜という地で非常に珍しいということは書いたが、頭部だけとは言え、塑像が遺るのもなかなかすごいのである。脱活乾漆に比べれば塑像は全国各地に存在していた。それもそのはず、塑像は粘土を乾かして固めただけ。もちろん実際の造像にはかなり高い技術が求められるのだが、それでも乾漆に比べれば費用は格安だ。
しかしながら、粘土を乾かしただけということからわかるように、非常に脆い。倒せば粉々になるわけで、当然ながら遺っている数も相当に少ない。そうした理由からか、塑像のほとんどは白鳳時代から平安初期までしか作られていない。
奈良などにある完全な形で遺っている塑像の多くは造像当初の乾かしたままの状態であり、これらは、遺っていることが本当に奇跡そのものなのだが、それ以外で発見される塑像はだいたいがテラコッタ状態になっている。それは、寺が何らかの理由で火災に遭い、塑像も燃えて素焼き状態になるからである。こうなるとヤキが入って固くなる。火災に遭うわけであるから壊れてはしまうものの、この仏頭のようにいい形で、いい部位が遺る場合も多い。
この仏頭はそうして遺っていることの貴重さに加え、造形が非常に良い。地方仏の雰囲気ではない。整った形であり、おそらく80cm~1mくらいの像であったろうが、さぞや見事なものであっただろう。戦国時代までは存続していたということを考えると、ぜひそのまま遺って欲しかったと思うが、こうして一部だけになっても、その素晴らしい造形を何とか今に伝えてくれること自体に感謝しなければならないのだろうとも思う。
済法寺 四天王立像(鎌倉時代末期 像高78cm〜84cm 県指定文化財)岐阜県立博物館寄託
こちらも素晴らしかった。
善光寺の釈迦如来坐像(藤原時代 像高85cm 岐阜市指定文化財)
造形の美しさとともに、修復についての詳細な展示があり、非常に興味深かった。
他にも、御嵩の願興寺普賢菩薩坐像や伊奈波神社の個性的な狛犬なども出展されていた。
岐阜の至宝と銘打っての展示と考えると、仏像の出品数は少なかったものの、なかなかにインパクトの強い内容であった。
〒500-8003 岐阜市大宮町2丁目18-1(岐阜公園内)
TEL:058-265-0010
観覧料:300円
開館時間:9:00~17:00(月曜休)
駐車場:岐阜公園の駐車場を利用
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