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大月市郷土資料館(山梨県大月市)―宝鏡寺の素朴な十二神将像

桂川の眺め

郷土資料館の前を流れる桂川の眺め。奥に見える橋は中央道。その向こうの岩山は岩殿山。

大月(おおつき)というと、東京から甲府盆地へ向かう途中で富士山方面への分岐点、というイメージが強い。というか、そのイメージしか持っていない。もちろん古くから街道沿いの追分として交通の要衝であったはずで、いろいろな文化が息づいてきたであろうことは予想がつく。しかしあまり訪れる機会がなかった。

今回、大月市七保町にある宝鏡寺薬師堂(山梨県指定文化財)の修理が完了したことを記念して、薬師堂に残る十二神将像が、大月市郷土資料館でご開帳になっている、というニュースを聞いて行ってみることにした。

多摩地区から山梨は近い、ということは今年だけでも結構書いているので聞き飽きた、と言われそうだが、大月となるとますます近い。週末となると中央道は多くの観光客で大渋滞になるのだが、午前中の甲府方面(下り)と、夕方からの東京方面(上り)がすごいので、その間隙を縫えば時間をかけずに行けそうだ。

朝から渋滞情報とにらめっこをしていたが、お昼を回って12時半にもなると渋滞も減ってきたようなので出発。してやったり渋滞もなく13時過ぎには大月インターチェンジに到着した。

大月インターを降りてからは少し東京方面へ甲州街道を戻る形になる。町中を抜けてしばらくいくと、大月市郷土資料館への看板があった。大月市資料館

相模湖あたりから笹子峠までは、桂川(下流は相模川になる)に沿って甲府へと道が開かれているわけであるが、桂川は深い谷を形成しており、川に近い郷土資料館へも急な斜面を下っていく形だ。まだ11月だから良かったが、凍結していたら怖いところだった。

十二神将公開のポスター

どこの郷土資料館もそうであるが、ここも人気がなく静かで寂しい佇まいだ。館内もどことなく暗く、係員が出てくるまでにも時間がかかった。

2階へと上がると、考古学分野から歴史分野までのよくある雰囲気の展示がされている。興味がなければ、見飽きた面白みのない光景と映るだろう。人気がないのも当たり前だ。

博物館学を学んだ自分としては、ここ20年くらい流行していた丹青社による展示のようなものがいいのか悪いのかというところはさておき、やはり平塚市博物館のように、展示にも社会教育にも、ひと工夫もふた工夫もなければなかなか個性は出せないということは感じる。動物園にしても博物館の一種だが、旭山動物園などは独自に工夫してあそこまでできているのだ。どこかの大手広告系企業が入って有名になったとばかり思って訪れてみたら、そんなことは全くなく、学芸員や職員たちの手作り感があふれていて本当に驚いた。もちろん予算の問題はあるし、担当者が発掘にばかり行かなくてはいけなかったりするというのが現実ではあるものの、行政サイドの工夫ひとつで何とでもなるのだろうと思う。

さて、その展示室の一角に、特別展示区画があり、そこに黒々としたお目当ての十二神将像が横一列に並んでいた。

宝鏡寺 薬師堂 十二神将像(鎌倉時代推定)像高70cm前後 大月市指定文化財

十二神将像

(メディアより)

十二神将像

(ポスターより)

薬師如来立像

(大月市郷土資料館サイトより)

宝鏡寺は大月の市街地から北東の山へと入ったところにあり、薬師堂は16世紀あたりに築造されたそうだ。19世紀の資料では無住の寺としての記録もあるそうだが、薬師如来は目の病に霊験ありと信仰されてきたという。その眷属がこの十二神将である。

鎌倉時代に比定されるということは、今の薬師堂より前にもそうしたお堂なり寺があったということだろうか。薬師如来は立像で、ヒノキの一木造、像高116㎝ということらしく、平安期の像のようだ。写真を見ても、頭は縄目のような清涼寺式風ながら衣紋は流水紋ではないという独特な折衷様で、こちらもかなり気になる存在である。

十二神将は、図録も絵葉書も何もなく、写真撮影も禁止なので伝えるのが難しくて申し訳ないのだが、腕や体の一部を欠損している像が多いものの、12体すべてが揃っている。造形は鎌倉時代と比定されるだけあってなかなかよくできているものの、甲冑の彫刻はかなり簡易的だ。プロポーションがそれぞれに個性的で良い。特に7号像は腰のくねりが少し色っぽい。これらの像の黒っぽさは漆の色だが、ベンガラ漆というものを使っているそうで、ベンガラの赤っぽさが結構よく見えて、これがまたなかなか特徴的である。

7号像の造形の高さに惹かれるが、個人的には4号像のおちゃめな雰囲気が好きかな。また開帳される時もあるかもしれないが、次回はぜひ絵葉書を作っていただいて、帰ってからもゆっくり眺めたいと思った。

せっかく来たので、近くにある猿橋(さるはし)へ行ってみた。

猿橋

ずいぶんと昔に来たことがあるが、その時は真夜中だったので、こうして昼間に姿をしっかり見るのは初めてである。さすが日本三奇橋に数えられるだけあって、とても不思議な橋だ。

猿が互いに体を支えあって峡谷を渡ることにヒント得たという伝説があるそうだが、このような箇所に橋をかけるのは橋脚のない技術が必要で、そのためには吊り橋刎橋(はねばし)という2つの方法があった。猿橋はそのうち刎橋の技術で作られており、壁面に柱を突き刺し、それを支えにして最初の柱よりも長い柱をその上の壁に突き刺す、ということを両岸から繰り返すことで橋をかけているのである。鎌倉時代にはすでにあったというが、詳細は不明のようだ。

猿橋はかなり高い位置にかけられている。峡谷の壁面同士が最も近づいた、ここしかない!というところにかけられていた。

猿橋より

(猿橋からの眺め)

ちょっとだけ、大月市郷土資料館だけ行ってくる、という感じであったが、3時間ほどの間で、紅葉の始まりかけた大月を存分に楽しむことができたと思う。

大月市郷土資料館

〒409-0614 山梨県大月市猿橋町猿橋313番地2
TEL:0554-23-1511
入館料:100円
開館時間:9:00〜17:00
アクセス:JR中央線猿橋駅より徒歩10分
駐車場:あり(無料)

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