長野県は私にとっては縁の深い地である。山と自然を愛する家族に生まれ、愛知県からは行きやすいということもあって、休みというと長野へと旅をしていた。
その後、姉が長野の大学へ進み、私も運転免許は伊那でとり、また、大学の頃は更埴に2か月弱住み込んで古墳時代住居の発掘を行ったりもした。そしてその後も、今も、何かというとよく訪れる地である。実家の愛知への帰り道からも近いためよく訪れる。
長野県には素晴らしい仏像がたくさんいらっしゃる、という噂はかねがね聞いていた。もともと古代から東山道、そして近世の中山道と、日本の大動脈がしっかり真ん中を通る地でもあり、また、善光寺という日本仏教における信仰の一大地を持ってもいるこの地に、優れた仏像が多くあるのは納得である。
今回は多摩佛像研究会と仲間たちの10人で、夏まだ浅い信濃路へ。
今回のスタート地は佐久である。北陸新幹線・佐久平駅に集合し、まずは佐久市の西端にある福王寺へと車を走らせる。
佐久平は伸びやかで程よいアップダウンがある地だ。今日は浅間山は裾野まですっぽりと雲に隠れてしまっているが、天気が良ければさらに雄大な景色となるだろう。千曲川の流域には、この佐久平の他、合戦の地として著名な上田平や、その西の塩田平、そして広大な善光寺平、さらに木島平という平地が形成されている。深い山地に広がる平地のせいか、千曲川流域の山容のせいなのか、一種独特な雰囲気があるといつも感じる。
先述の東山道は、天武朝に成立したと考えられている五畿七道のうちのひとつで、畿内より今の岐阜、長野に入っては伊那谷を通り、松本のあたりから上田方面へと抜けて、佐久平を通り碓氷峠へと下っていく古代からの大動脈である。物資の輸送ルートであったことに加え、蝦夷征討にも大きな役割を担ったことは想像に難くない。
佐久平を走りながらそんなことを考えているうちに、30分ほどで最初の目的地・福王寺に到着した。
塀からこぼれ落ちそうなほどのしだれ桜の木が非常に見事な枝振りを見せて迎えてくれている。春はさぞや素晴らしい光景であろう。なんと樹齢300年を誇るという。ぜひ春にも訪れてみたいものである。
福王寺は寺伝によると、坂上田村麻呂が平安京から陸奥へと向かう際、この地の豪族の妻が病で苦しんでいるのを知り、同道していた医師に診させるも亡くなったため、よき地に寺院を建てるように指示して立ち去ったことに始まるという。やはり東山道にまつわる由来のようである。
平安時代に原点を持つ寺であるが、鎌倉時代になると、馬の生産で地域に強い勢力を誇った望月氏の庇護を受けて隆盛を極めたという。その時に造立されたのが、本尊の阿弥陀如来である。もともとはこの寺の本尊であったのが、いつの間にやら大日如来に取って代わられ、その後は阿弥陀堂に安置されていたという。昭和50(1975)年に収蔵庫が造られて現在はそちらに安置されている。
※仏像の撮影には、ご住職より特別な許可をいただいております。
阿弥陀如来坐像(鎌倉時代[1203年])一木造(カツラ材)像高138.3cm 一木造 国指定重要文化財
もともとの阿弥陀堂は江戸初期の寛永年間に火災に遭い、この阿弥陀如来と現在の阿弥陀堂に遺る諸像を除いては焼失したという。脇侍の二菩薩は江戸時代のもの。
穏やかな来迎の阿弥陀という感じではなく、どちらかというと男性的。平安初期のような彫り出しでツンツンした高い螺髪、藤原時代のような丸顔ではなく面長で、鎌倉時代への移行を感じさせる。
衣紋は全体的に少なめだが、左腕から足へと流れる衣紋は非常に美しい。
両肩をしっかり張っており、堂々たる雰囲気だ。
男性的ではあるものの、すこし愛嬌があって優しさも感じる。そしてその目は非常に深く、そしてはるか遠くをしっかりと見据えているような、そんな姿に見える。
収蔵庫を出てすぐ右前にあるのが阿弥陀堂。現在のものは火災の後に江戸時代初期に再建されたものであるが、ここに火災の際に難を逃れた仏像が納められている。
阿弥陀堂に入ると、二体の等身の仏像の白肌がパッと目に飛び込んでくる。その日光菩薩と月光菩薩とされる像は壁にもたれかかるようになっており、やや保存状態は良くないものの、独特なオーラを放つ像だと感じる。
両菩薩ともに造形の違いがあるが、お寺のサイトによれば、日光は、もともとは古くから寺に伝わる聖観音という言い伝えがあるようで、どうやら制作年代が2体で違うようである。お寺としては、日光菩薩となっているものは本来は平安時代作の聖観音で、月光菩薩は鎌倉時代作のもの、薬師如来は所在不明、ということで考えているとのことだ。サイトの写真と実際のお堂の中の並びが逆なので、どちらが日光でどちらが月光かはいまひとつわからなかった。
両菩薩の独特なオーラにも惹きつけられるが、グッとくるのが、両サイドの雨宝童子(もしくは聖徳太子像)と毘沙門天ではなかろうか。
雨宝童子像は、お寺では聖徳太子としているが、髪型からしておそらく聖徳太子ではないのではないか、とご住職もお話しされていた。
後世のものと見られる胡粉が残っているものの、目や眉のスパッと切れた造形、乱れたような形で結われている髪の毛の流れや耳の造形など、繊細でとても美しい。
反対側の毘沙門天にも惹きつけられる。
いろいろな持物などを失っていたり、比率のバランスもややおかしいところもあり、遠くから見るとそこまででもないように見えるのだが、よく見ると、その表情は非常にイケメンであり、何よりも雨宝童子と同じく、見惚れてしまうほどの造形の素晴らしさがある。憤怒の表情ではあるものの、燃えるような怒りではなく静かな怒りというところがまたカッコイイ。
胡粉の影響もあってか、横顔は何か貴族か神官のような、そんな感じにも見える。
今では信州の山里にあるお寺ではあるが、見事なまでの素晴らしい状態で今も鎮座する本尊とともに、状態は痛々しくも奇跡的に残ってきているこの仏像たちを拝見するにつけ、大きな災難を乗り越えて今に伝わったという長い時間の流れや、守り続けてきた人たちの思いをひしひしと感じる気がした。
あちこちに咲く野の花に心を癒やされつつ、この地を後にした。
【雫田山 福王寺】
住所:〒384-2204 長野県佐久市協和1054
拝観:要予約
拝観料:志納
交通:佐久平駅前より佐久市バス中仙道線に乗車し、「望月(望月バスターミナル)」で下車。バスの本数は1時間半に1本程度。バスを降り、西へ徒歩40分くらいで福王寺に着く(せきどよしお「仏像探訪記」より引用※2013年の情報)
駐車場:門前にかなり広い駐車場がある(無料)
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