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阿日寺(奈良県香芝市)— 恵心僧都生誕の地に広がる来迎ワールドと独特な魅力を湛える大日如来

恵心僧都・源信といえば、『往生要集』を著したことで知られる。この書は、後に法然や親鸞へと受け継がれ、平安末期からの浄土信仰の広がりへとつながっていくことになる。その源信が生まれたとされているのが阿日寺(あにちじ)である。

考えてみると、今では東京住まいの自分が源信の生まれた地にやってきてお参りする、というのは奇しき縁なのである。というのも、源信なくして江戸、ひいては東京の発展はなかったかもしれないからなのである。

江戸幕府を開いた徳川家康。彼がまだ松平元康と名乗っていた頃のお話。今川義元が織田信長に桶狭間で討たれた時、今川家の人質だった元康は混乱の中で地元・三河の菩提寺である大樹寺に逃げおおせるも、追っ手の恐怖からか将来を悲観、生来のビビりで何かというとすぐ「もう死ぬ!すぐ死ぬ!」と騒ぎ立てる性格は若い頃からのようで、もうこれまでよ、と自害しようとしたというのだ(ビビりな家康についてはこちらを参照)。

そこに現れたのが大樹寺の第十三代住職・登誉上人であった。上人は元康に「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」と説く。つまり「戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す」(wikipediaより)と諭したことで、元康は自害するのをやめて志を立てたという(ちなみに、家康はこの「厭離穢土欣求浄土」を座右の銘として旗印としている)。

この「厭離穢土 欣求浄土」という教えは浄土教の根本的な教えであり、何を隠そう、「往生要集」の冒頭の章名なのである。 つまり、源信の「往生要集」がなければ、家康は世に名を為す前に骸となり果てていたかもしれないのである(家康のことだから自害できなかったかもだけど)。

つまり、源信の教えなくしては江戸の発展も、長渕剛がバカヤローと叫ぶほど強烈に憧れた花の都・大TOKYOもなかったのかもしれないのだ。東京で生計を立てる我らは、恵心僧都に足を向けて寝られないのである。 

さて、ちょっと乱暴な論理でオオゲサな話にになってしまったが、その源信の生まれたという阿日寺へと向かうことにする。

西名阪・香芝I.C.で降りて、国道168号線をひたすら南下すること20分ほどで阿日寺へと到着する。国道からは狭い道を少し入ったところにあるのだが、国道沿いに広い駐車場が用意されているので安心だ。

国道側から来るとお寺の西側から近づいて、南側から入っていく形になるのだが、正門は集落のある東を向いている。何だか裏口から入ったような感じなので、改めて入り直そうと一旦門を出ると、門の脇に小さなお堂があった。人気ブログ「ひたすら仏像拝観」の中の人・迦楼馬さんが教えて下さっていたので「あぁここか」と気づくことができたが、知らなかったら通り過ぎていただろう。障子の間から中を覗くと石造の如意輪観音像が祀られているのが遠くに見える。カーブが多くて柔らかく、造形もとてもかわいらしい。ひと目で気に入ってしまった。

では、改めて門を入って境内へと進む。

東を向いて南北に歴史を感じさせるお堂が並んでおり、本堂の前にはソテツの木があったりしてちょっと南国ムードだったりもする不思議な空間だ。

ふと屋根に目をやると、軒丸瓦に「」の字が並んでいる。恵心僧都の「恵」なのだろうか。

呼び鈴を鳴らして予約した者である旨を伝えると本堂で受付をして下さった。

本堂内は横に広い感じだが、入ってまず驚くのは、欄間の二十五菩薩だろう。

カラフルな雲に乗って、二十五菩薩が音楽を奏でつつ来迎に来ている様子をお堂の幅いっぱいの欄間に表現している。

一体ずつを見ていると、それぞれが表情も体の表現も豊かで楽しい。

地蔵菩薩らしいかなりの前のめり。

二十五菩薩の明るい雰囲気で気持ちも楽しくなって奥に目をやると、大きな角形の厨子があり、その中に三尊像がいらっしゃるのが見える。

阿弥陀如来立像 詳細不明 未指定

恵心僧都の母が亡くなり、その忌中に自ら彫って母の身代わりにと朝に夕に往生極楽を祈ったという阿弥陀如来立像である(奈良に住んでみました」さんのサイトに詳しいのでそちらを参照)。

造形的には古くて平安末期、基本は鎌倉時代以降かな、という感じに見える。Y字紋も平安初期のそれとは異なりかなり形式的に見える。ただ、肩の張りは立派で、また彫眼のようでもありちょっとよくわからない。源信は10世紀半ばから11世紀初頭の人なので、実際に彫ったものとはやや時代が異なるであろうか。

少し厳しい表情ながらも、やや上半身を反るようにして神々しく、堂々としたその姿は見事だ。脇侍は膝を曲げた来迎相の立像である。 三尊像の前には目がキラリとオレンジ色に光る恵心僧都の像が鎮座していた。

この厨子、よく見ると仏像のためのものではなさそうだ。聞いてみるとやはりそのようで、もともとは曼荼羅か仏画などをかけていた厨子ではないか、ということであった。

本尊のいる須弥壇に向かって右側の間には2体の仏像が並んでいる。そのうちの1体が、このお寺では最も有名な仏像である大日如来坐像である。

大日如来坐像(国指定重要文化財)藤原時代 クスノキ材一木造 像高94cm

例の少ない胎蔵界大日如来坐像である。もともとはこの近くの常盤寺の仏像だったそうだ。薄暗い本堂にあって、遠くから見る分にはそうとも思わないが、近くで拝見するとかなりのインパクトがあった。何というか、一言で言うと、会ったことがないタイプだ。

まず上半身の細さである。それも、禅定印を組んだお腹のあたりから腕の付け根にかけてだんだんと細くなっているのである。腕も細く直線的で、肘を張るようにもしていて何だか不思議な雰囲気だ。

結跏趺坐をしている脚部に目をやると、胴や腰回りが華奢すぎるせいか、何だかおへそのあたりの一点から、足が勢いよく放射状に出てきているようにも見えてしまう。太ももに刻まれた翻波式衣紋は、途中までしかない上にちょっと大まかな造形であるが、なかなか立派である。

身体の細さと腕と比べて、少し大きめの頭がまた微妙にアンバランスだ。髪の毛のあたりの造形といい、何だか地方仏のような造形だな、と感じる。

見たところ、大規模に修復が入っていると思われる。とりわけ、顎部分には修復の痕がハッキリと見える。それにしても三道の表現がすごい。

そうしてなかなかいろいろと不思議なインパクトのある仏像であるが、雨が降りそうな空のもと、外からの明かりの中、薄暗い本堂の中でずっと向き合っていると、不思議な気分になってくる。 愛染明王のような日輪の光背のオレンジっぽい渋い金色の輝きの中に、真っ黒で独特な大日如来が静かに浮かび上がってくる。かなり特異な造形で妖しい雰囲気もあるが、そのニヒルながらも穏やかで、「静」そのもののような雰囲気には、何とも言えず深い味わいがあり、目が離せなくなる魅力がある。

阿日寺と言う名前はなかなか独特なイメージだが、恵心僧都が、母の極楽往生を祈って彫ったという阿弥陀如来と、 父のために彫った大日如来との2体を本尊としたことから、阿弥陀如来の「」、大日如来の「」から来ているそうだ。現在、このお寺にいらっしゃるこの大日如来は他寺のものであったということなので、もともとの大日如来像は今はもういないということだろうか。阿弥陀如来も当時のものではないかもしれないので、変遷を経て今があるのだろう。いずれにしても素晴らしい阿弥陀如来と大日如来がいらっしゃることには変わりない。

もう1体、大日如来のすぐ隣には小さな厨子がある。

地蔵菩薩半跏像 詳細不明 未指定

小さい上に薄暗いのでよくわからないが、目には玉眼が入ってるようにも見える。鎌倉時代くらいの仏像だろうか。

ちょっと物憂げながら、口元には少しだけ微笑みも感じられる美しい仏像であった。

お寺の方(ご住職の奥様?)にいろいろとお話をしていただき、このお寺の歴史の深さを知ることができた。お茶もいただき、暖かい笑顔で「気いつけてな」と送り出して下さった。

本堂を出ると雨が降り出していた。お寺の建っている地は周囲より少しだけ高い場所になっていて遠くの山も見えるが、それも雲に煙っている。目の前の昔ながらの集落のすぐ向こう側には大きな前方後円墳もあるという。

本堂の前は今は植物などが植えられた庭になっているが、ほんの10年少し前まではになっていたという話を聞いて驚いた。阪神淡路大震災の時に地面が歪んでしまって今では埋めてしまったそうだが、小規模ながら浄土庭園になっていたということなのである。

本堂の中に入ってからでは近すぎて仰ぎ見るようになってしまう欄間の二十五菩薩。堂内からだと三尊像とは少しだけ別パーツのようにも見えるわけだが、池の反対側から障子を開け放った本堂を見たら、まさに本尊のすぐ上に二十五菩薩が見え、それも菩薩たちが近く見える奥行き感もあったに違いない。真西を向く形になるため、夕日を背負って神々しく輝くお堂の中に、灯火に照らされた阿弥陀衆生が浮き上がるように見えたことであろう。そして実はこのお寺は、来迎の聖地・二上山の近く、それも真東にあるのである。計算された立地と構成なのかもしれない。

浄土寺や浄瑠璃寺のような大規模さではないものの、こうしてしっかり極楽浄土を再現しようとしているあたりからして、さすが恵心僧都生誕の聖地であると感じた。

【阿日寺(あにちじ)】

〒639-0235 奈良県香芝市良福寺361
TEL:0745-76-5561
拝観:要予約
拝観料:志納
駐車場:国道沿いに10台ほど止まれる駐車場あり(大きな看板が出ている)。そこから徒歩5分。また、小型車の場合、境内に止めることができる場合もある(要確認)(無料)

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