ふとした用事で愛知の実家へ帰省した。
今回は初めて、八王子から名古屋まで、夜行バスを使って実家に帰ってみた。運転しなくてもいいし値段も安いが、4列シートしかないということもあり、むしろ運転して帰ったほうがはるかに楽だった。
早朝の名古屋駅前。こちらは立て直しが決定している名古屋駅前の「ランドマーク」、大名古屋ビルヂング(注:2013年より建て直しが始まり、2015年秋まで工事中)。
実家では父から1枚のチラシを渡された。そこには白黒ながら気になる仏像の写真があり、陽徳禅寺というお寺と記されている。ぜひ拝観に来てくださいと書いてある。早速連絡してみたところ、どうぞいらっしゃってくださいという温かいご返答をいただいた。
両親も行くというので3人で出発。両親と仏像を拝観に行くというのはかなり久しぶりだ。
ちなみに私の両親は仏像がもとで知り合ったという2人らしいので、私は物心付く前から奈良や京都へと連れて行かれていた。そして幼少のみぎりから仏像をこよなく愛する人間になったわけである。見事な刷り込みである。
陽徳禅寺は、住所で言うと、犬山市の善師野(ぜんじの)というところにある。
この善師野と、もうひとつ、少し離れたところに今井という地域があるのだが(リトルワールドなどがあるあたり)、その善師野と今井の2つのうちどちらが犬山第一の田舎なのか、とその地域に住んでいる人たちがよく言い争っていたものだ。そんな場所である。今では善師野は宅地造成が進んでいるようだ。
今から考えると、善師野、という地名自体、ちょっとワクワクさせられる感じがあるではないか。私の実家は善師野に隣接する塔野地(とうのじ)という地域だが、こちらは、過去に七堂伽藍を誇った大寺院があり、塔ノ地と書いたところから来ている(空海が唐から招来した樹木を植えたことで”唐ノ地”と書いたという説もある)。塔野地もそんなすごいお寺があったということからして今のような辺鄙な田舎ではなかったのだろうが、善師野も街道の宿場町であった。中山道や東山道が通っていた美濃国に近いこともあるのかもしれない。
善師野駅あたりから細い昔ながらの道を集落の中へと入っていくと、つきあたりのように見えるところに小高い丘がある。ここには熊野神社があるのだが、かつてはその場所に大日堂があったのだそうだ。
そこを直角に左へ曲がってもう少し進むと、陽徳寺に到着する。
石柱の門があり、そこにお寺の名前があるから間違いないのだが、何も知らなければ普通の民家にしか見えない。
陽徳寺の前の道は、子どもの頃からよく通った道だ。すぐ目の前には幼なじみの実家であるガラス屋があるし、この道からさらに山へ入ったところにある大洞池というため池で、私は毎週のように友人たちとバードウォッチングをしては過ごしていた。そんなよく通ったところに文化財の仏像があったとは・・・。灯台下暗しである。
陽徳寺は、案内板によると、現在は臨済宗の寺院だが、創建時は真言宗寺院であったそうだ。何らかの理由で廃れ、その後現在地から見て北西の山中に臨済宗の寺院として再建された。しかし再三の山崩れで倒壊、別の場所に移転、さらに江戸時代に現在地に移転し、先ほど触れた大日堂を建てて大日如来を安置したものの、火災が起きて全焼、大日如来は救出され、本堂に安置されて本尊となり現在に至るという。数奇な運命を辿った仏像のようだ。
呼び鈴を鳴らすとご住職らしき方が暖かく迎え入れてくださった。
庭に面した引き戸をガラガラと開けてくださったのでお堂の中に入る。正面に位牌がたくさん並んだ空間があり、その最も奥の中心に仏像が見えた。
大日如来座像 鎌倉時代初期 木造 玉眼 犬山市指定文化財
智拳印を結ぶ金剛界大日如来座像である。玉眼も入っている。大日如来らしい、精悍な体躯だ。腕も細い。
造形そのものや表情は全く違うものの、顔の金箔のはがれ具合や若々しさを感じる姿からは、かの運慶の処女作である奈良・円成寺の大日如来を彷彿とさせるものがある。腕のあたりの金箔のはがれた様は少々痛々しい。
まさかこんなところにこんな素晴らしい仏像がいらっしゃったとは驚きだ。実家から近いこともあり、またぜひ訪れたいと思った。
5月直前という季節。境内では藤の花がきれいに咲き誇っていた。
【朱日山 陽徳寺(ようとくじ)】
住所:〒484-0003 愛知県犬山市大字善師野字下ノ奥26
TEL:0568-61-4193
アクセス:名鉄広見線善師野駅から徒歩10分
拝観料:志納(拝観要予約)
駐車場:あり(無料) 門を入ったところに数台停められる(お寺までの道は狭いので要注意)
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