西尾というとまず浄名寺、というイメージだったが、他にも近くにいい仏像が安置されたお寺があるか調べてみたところ、名古屋仏像研究会のナルサワさんのサイトである仏像ワンダーランドで、いくつかのお寺がヒットした。このサイトは、滋賀県の仏像情報を中心に、中部の仏像の情報も充実している。
今では西尾市に編入されたもと吉良町の吉良吉田に専長寺という寺があり、そこに美しい阿弥陀如来がいるということで電話予約をしてお邪魔させていだくことにした。
懐かしの吉良吉田駅の横の踏切を通り、件の腰を下ろしていておじいさんに叱られたホームをチラリと横目に見つつ、狭い路地へと入る。お寺の西側に広い駐車場があった。
山門の脇には、砂岩質らしき材質で作られたと思われる石仏がたくさん並んでいる。
かなり溶けているような状態なので像容がよくわからないものもあるが、この像などはそれでも、おそらく馬頭観音であろうと推測がついたりして、それはそれで面白いな、と思った。
本堂はなかなか堂々たる建物である。隣の庫裏で呼び鈴を鳴らし、連絡していた者であることを告げる。
靴を脱いで本堂の中に入ると、仏像の詳細を見るまでもなく、圧倒的なオーラに一気に引き込まれる。
阿弥陀如来座像(鎌倉時代) 寄木造 玉眼 像高145.5cm
一目見て、これは地方仏師の作ではない、と感じる。明らかに雰囲気が違う。大きさ的には半丈六だが、かなり大きく見える。
中品中生の印が珍しい。そして指の表現がとてもきれいだ。
ご住職のお話を聞くと、やはりというべきか、この仏像はもともと京都にあったという。
源実朝の夫人である本覚尼が京都の遍照光心院大通寺の本尊として造立したもので、廃仏毀釈の煽りで京都誓願寺の末寺に安置されたままになっていたところ、こちらのお寺と縁があったことから、当時のご住職が許可を得て遷してきたそうだ。
とてつもないパワーがある完成度の高い造形で、かなり引き込まれる。美しく、気高さもある。
こう言っては失礼だが、まさか吉良吉田にこれほど素晴らしい阿弥陀如来坐像がいたとは本当に驚きだった。しかし、この後に訪問した金蓮寺にも国宝の弥陀堂があったりと、この一帯はかつては高い文化を誇っていたのであろう。
本尊に向かって左の間の阿弥陀如来立像も、外陣からだとやや遠くて詳しくはわからないものの、非常に秀逸である。
阿弥陀如来立像(鎌倉時代)一木割矧造 玉眼 像高90.8cm 市指定文化財
近隣の東林寺(廃寺)というお寺の本尊だったそうだが、造形的にも様式的にも快慶の晩年の作風をよく表しているといい、足枘に銘はないものの、快慶に連なる仏師による作と考えられているそうだ。
専長寺のご住職はかなりのご高齢で、最近口腔内の手術をされたということでお言葉がハッキリしなくて申し訳ない、とおっしゃっていたが、この仏像に対する思いが十分に伝わって来た。話すのも大変だったはずだが、本当に丁寧に接していただき感謝である。
これほどの仏像をこの地で維持していくのは相当なご苦労もあることだろうが、不思議な縁でこちらに移ってきた仏像、これからもこの地で守り伝え続けてほしいと思う。
【専長寺(せんちょうじ)】
〒444-0516 西尾市吉良町吉田斉藤久100
TEL: 0563-32-0671(拝観要予約)
拝観料:志納
アクセス:名鉄西尾線 吉良吉田駅下車 徒歩6分
駐車場:寺の西側に広い駐車場あり(無料)
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コメント
コメント一覧 (4件)
※旧サイトより模擬復旧
伊熊泰子(いぐま・やすこ)
2017年8月8日 7:00 PM 編集
初めてご連絡いたします。
雑誌「芸術新潮」の編集をしている者です。
ソゾタケさんの撮影された阿弥陀如来坐像がすばらしく、お願いしたいことがありまして、書き込ませていただきました。
恐れ入りますが、私のアドレス宛てにメールをいただけるでしょうか。
※旧サイトより模擬復旧
細谷克己
2021年6月16日 12:23 PM 編集
はじめまして、つかぬことをおうかがいいたしますが、阿弥陀如来坐像の光背の梵字が知りたいのですが、ご存じありませんか?
※旧サイトより模擬復旧
ソゾタケ(管理人)
2021年6月16日 11:06 PM 編集
>細谷様
ご覧いただき、コメントも本当にありがとうございます!
梵字というのはこの像の光背に記されているいくつかの梵字のことでしょうか?私もこの像の梵字についてはわからないのですが、画像を見返してみました。当時撮影した画像は少しだけ荒いので、梵字そのものがなかなか判別できないのですが、2つの可能性があるかな、と思いました。
まず、1つめ。頭頂部にある梵字は「キリーク(阿弥陀)」なので、阿弥陀そのものを表しています。あとは見える範囲では左右5つずつが配されています。それだと全部で11になってしまうので、見づらい下部に左右1つずつが配されていて、合計13個で、十三仏、という可能性。
もう1つは、「無量寿経」にある、阿弥陀如来の光そのものの功徳を表す十二光仏です。光背ということもあるので、その可能性もあるかな、という気がします。十二光仏に梵字があるかはわからないのですが、富山県の高岡大仏も、円光背に十二光仏を配する予定だったのができずに、中央にキリークの梵字のみが配された、ということもあったようですので、可能性はありそうだな、と考えました。
※旧サイトより模擬復旧
細谷克己
2021年6月17日 4:23 PM 編集
ゾゾタケ様
丁寧いに回答ありがとうございます。
もう少し調べてみます。
私事ですが、この阿弥陀如来の絵を描いていまして、できるだけ正確に描きたいと、質問いたしました。
ありがとうございました。