羽島で円空に癒やされてから名古屋へ出て、名古屋の仏像仲間たち(名古屋仏像研究会)の忘年会に参加、そのまま名古屋に宿泊した。
翌日もどこかお寺めぐりしたいと思い、せっかく羽島で円空熱が高まり始めたところなので、以前より仲間たちのツィートなどで気になっていた西尾市の浄名寺へと行ってみることにした。
西尾は三河の茶どころとして地元では知られている。最近では中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手の出身地であることの方が有名な気もするが、私としても、小学生の頃からちょくちょく訪れていた場所でもある。
小学生の頃は夏休みになると、名鉄電車を一人で乗り回していた。
西尾や蒲郡にも来ていたが、今では合併で西尾市に組み込まれたという吉良吉田(きらよしだ、吉良上野介の所領地として知られる)なども、西尾線と三河線との乗り換えでよく使ったものだ。今では吉良吉田まで来ていた名鉄三河線は途中までで廃止になってしまったので、あの特異な三角構造のホームもなくなってしまったことだろう。小学4年の時だろうか、電車が来ないので吉良吉田駅のホームに座っていたら、おじいさんに「地面に座っていいのは兵隊だけだ!」と叱られたのを思い出す。今考えても意味不明だが、それもまたいい思い出だ。
そうして巡っていた頃からはかなり久しぶりとなる西尾市であるが、名古屋からは思ったよりも遠かった。しかし国道23号線のバイパスが立派で、ほとんど高速道路のような状態だったこともあり、雨の中、スムーズに西尾へと到着した。
浄名寺は少しわかりづらいところにあり、狭い道を入る状態ではあったが、門前に広い駐車場が用意されていた。
本堂らしき正面のお堂に向かって左側に小さなお堂があり、そちらに円空仏が入っている。本堂でお聞きした所、自分で戸を開けて入って良い、とのことだった。
円空作 観音菩薩像(江戸時代 延宝2年頃)ケヤキ材一木造(立木仏)像高270cm 市指定文化財
思っていたよりもはるかに大きい。厨子にギリギリに入っている感じだ。
独特な像容は、この仏像が立木仏だからである。
立木仏とは、立った状態の生えている木に直接彫って仏像にすることで、霊木信仰的な要素や自然崇敬の雰囲気がある。日本各地に様々な立木仏があり、多くはその木のもっている雰囲気をそのまま活かしていたり、信仰的な意味で節を残したりしているそうだ。
この像はまさにそうした木の本来持つ生命的なうねりの部分を活かして作られている。木の温かな風合いをも出しているところはさすがと言えるだろうか。
この仏像はもともとは伊勢にあったものだという。明治政府の愚策・神仏分離令によって引き起こされた廃仏毀釈は、お伊勢さんのお膝元の伊勢ではかなりの激しさであったという。それによって数多くの仏像が難を逃れるために船で対岸の三河などへと移されたといい、この像もその1つであると考えられている。円空は延宝2年あたりに伊勢で造像を行っていることから、その頃の作品であるようだ。
この像をひと目見て、「これは、母親だ!」と私は心の中で叫んだ。まさにそんな雰囲気である。
中観音堂の観音像も母を感じさせるものがあったが、この仏像はとりわけ大きな愛を感じさせる母性をもっているように思えた。
円空は母親を洪水で亡くしている。円空の彫る如来像の足元に水を感じさせる造形が多いのはそのため、という説もあるようだが、優しい顔を彫るとき、円空は母への思いを抱いていたのだろうか。
【浄名寺(じょうみょうじ)】
〒444-0315 西尾市徳永町東側
TEL:0563-59-4135
アクセス:名鉄西尾線西尾駅からタクシーで20分
駐車場:門前に広い駐車場あり(無料)
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