塩田平は前エントリで書いたように、独鈷山信仰や塩田庄、頼朝による信濃守護の設置から塩田流北条氏、という経緯を経つつ、非常に高い仏教文化が花開いた土地である。重要文化財や国宝に指定される三重塔がいくつも存在する、というのは限られた地で他には例が多いわけではなく、いかに文化のレベルが高かったかを窺わせる稀有な地である。
塩田平にある前山寺は「未完成の完成の塔」といわれる三重塔(国指定重要文化財)があり、別所温泉にある安楽寺には、珍しい八角三重塔(国宝)があるが、塩田平の北側、西から延びる細い峰をひとつ越えた谷戸の奥にある大法寺にも、著名な三重塔(国宝)が存在する。
そんな大法寺には、平安時代のこれまた稀有な観音菩薩が存在するという。
山から舌状に張り出した峰の途中にある、ということは地図で見ていても理解していたが、実際に訪れてみると、予想以上にかなり細い峰に伽藍が縦方向に並べて作られていた。他にももっと平らな場所はあると思うのだが、あえてここに作った意味というものが必ず存在すると思われる。
道すがら、ユーモアたっぷりの十六羅漢像がたくさんあり、境内にも続いている。
かつてはきっともっと壮麗な門から登ってきたのだろうが、今は上り坂の途中からふっと石段へと入るような感じだ。一見、この奥に堂々たる三重塔や観音堂があるように見えない雰囲気である。
石段を登ると、視界が開ける。正面に観音堂があり、その右手奥に、名にし負う名三重塔が見えている。人呼んで「見返りの塔」。あまりに美しくて見返して何度も見てしまう、ということのようだ。
立地の関係上なのか、本堂よりも少し登ったところあるため、時間的に近くまでは行けなかったが、下から見上げるその姿がまた見事である。組み物の美しさがとても素晴らしい。
この組物の特徴がこの塔の美しさを演出しているそうだ。この三重塔は初層部が広く、落ち着いて見えるという。二重三重の組物は三手先という一般的な工法だが、初層のみ、二手先までに留め、その分、初層の部分を広げている。視覚効果を使った見事な建築物であり、見返ってしまうのには、しっかりとした計算と理由があったのである。
さて、メインの観音堂へと上がろう。
観音堂も堂々たる姿だ。今は銅葺きだが、おそらくもとは茅葺き屋根だったのだろうな、という感じの作りである。正面3間、側面は4間あるが、前の1間分は壁が障子となっており、孫廂の方三間堂と見ることもできるかもしれない。
中に入ると、まずはあまりにも堂々とした素晴らしい屋根の張りの厨子が目に飛び込んでくる。
※堂内および仏像の撮影には、今回に限り、特別な許可をいただいております。
厨子および須弥壇(室町時代)国指定重要文化財
屋根の張り出しが非常に見事であることにまず目を惹かれるが、屋根の下の垂木は放射状になっており、見事なまでの禅宗様である。柱のないところにも柱があるところと同じ組手があることを「詰組」というそうだが、それがまた見事だ。
横から見ていると、まるで象の彫刻がしてあるかのようで、そのくらい組手の存在感がある。屋根の上部両側には木製のシャチホコがついているが、これは屋根に取り付ける鯱としては日本最古であるという。
もともとはこのお厨子の中に、本尊の十一面観音像が入っていたのだが、厨子の後ろ側の部屋へ移動され、現在はお前立の十一面観音が中にいらっしゃる。今回、特別にお前立を拝観させていただくことができた。
十一面観音立像(お前立)詳細不明
内部はもともとの主人である観音像の像高に合っているため、それに比べると現在のお前立の観音像はやや小さいのだが、内壁の水色とあいまって、何ともいい雰囲気である。
このお前立の観音像は詳細は不明のようだが、見たところ、鎌倉後期以降に作られたと思われる造形であり、表情はやや気怠い雰囲気はあるが、衣紋の彫りは宋風を想起させるような複雑かつ美しさで、体躯のバランスもよい。これまたとてもいい仏像であると感じる。
それではお目当ての観音像にお会いすることにしよう。
厨子の後堂へと回り込むと、多くの仏像たちの中にあって、ひときわ存在感があるのがご本尊の十一面観音である。脇に半分ほどの大きさの2体を従えるように立っている。
十一面観音菩薩立像(平安時代中期)像高171cm カツラ材一木造 国指定重要文化財
全身を見てまず感じるのは、まっすぐ、ということだ。立木仏ほどまっすぐでもないが、平安時代中期の像としても、腰のくねりもなく、スラッと、まっすぐ、すっと立っている感じだ。ある意味、一木造らしい一木造、という感じだろうか。
最も印象的なのが、その卵型の顔と、目であろう。
目は半眼をハッキリとは表していない。目を閉じた時のまぶたの膨らみのみで表現しているところがかなり特徴的であると言える。これは平安時代中期以降、霊木信仰や神仏習合との関係の中で得られてきた表現でもあり、木から仏が現れるまさにその時、ということらしい。
わずかに口を開いているようにも見え(実際には開いていないようだが)、深い瞑想の中、何かを語っているかのようだ。
頭上に10の小面、主面を含めての十一面ということだそうだ。正面からは見えないが、背部には大笑面があるといい、側面には狗牙上出面や瞋怒面が見られるが、これらは造形的には後世のものであろう。
髪の毛の彫りのないねっとりとした雰囲気の頭髪の上に、そのまま彫りだした天冠台がすっぽり載っている感じだ。まさに一木造り、という感じのするシンプルさだが、ハッキリ作り込まれていない目と相まって、この”未完成感”がむしろ迫力を感じさせるし、惹きつけられる。
衣紋の造形も比較的簡素だ。目をはじめとして、髪の毛等も含めて、極力簡素にしてるようにも感じる。
脚部の裾の翻波式衣文も、小さな鎬の立ちに力がないドレープ的な雰囲気で、地方仏らしい造形だな、と感じる。
とはいえ、節々にその造形力の高さを感じさせるものがあり、詳細を見て行くと息を呑む瞬間もある。
蓮肉に沈線で蓮弁が彫り込まれているあたりは、おそらく台座が失われた後に彫られたのであろうが、そうした素朴さはかえって愛らしい。丸山尚一や白洲正子は全体的な造形や、そうした地方的な素朴さこそ、この地としての良さと書いていて、まさにその通りだろう。
ただ、それだけではなく、木の中に霊性を見て形にするための仏師の試行錯誤も感じさせるものがあって、見れば見るほど惹きつけられてしまう仏像だ。
簡素ではあるものの、彫りの雰囲気が活き活きして伝わってくる。簡素さを意図しつつも、隠しきれない技術の高さ、なのかもしれない。
十一面観音両脇の脇侍も魅力的である。
普賢菩薩立像(平安時代)像高107cm カツラ材一木造 国指定重要文化財
一言でいえば、十一面観音とそっくり、である。目はやはりハッキリ作り出さず、衣紋も彫りが薄い。顔もよく似ている。目だけではなく、卵型の顔の輪郭、そして鼻の造形まで同じ。
推測されているように、同じ仏師による作といわれて疑う余地はない気がする。こちらもとても魅力的だ。
大きな十一面観音と、小ぶりで像高差のあるこのそっくりな二体が並んでいるのは、何とも愛らしい気がする。
文殊菩薩立像(詳細不明)
造形からしても、十一面観音および普賢菩薩よりは後の時代の造形であろうと思うものの、おそらく平安時代後期までには入りそうである。衣紋はさらに簡素であり、ほとんど紋がないという感じだ。切れ目も鋭く、眉などはシュッとしているが、まるで少年のように愛らしい表情でもあり、気持ちがほっこりしてしまう。
丸山尚一は大法寺の仏像について、「土着色の強い一木彫りの少ない信濃にあって、大法寺の木彫像は、ぼくの感じる信濃を体現している彫像といっていいだろう」と記しているが、まさにこの仏像たちはこの地にあり、この地の仏師がその表現を必死に考えて仏の魂を込めた仏像なのだろうと思う。
濃密な空間を堪能し、お堂の外に出ると明るく、野鳥の声がよく聞こえる。観音堂前にはキセキレイがいたり、今日は最初の寺院からよく聞こえるキビタキの声も響いている。
このお寺を有名にしている国宝の三重塔や、立派なお堂とともに、このお寺の色を聞かれたら、おそらく私は緑と答えるだろう。
秋に訪れていればもちろん違うだろう。いずれにしても、山に抱かれ、自然そのものの中にあるようなこのお寺の中に、まさに自然の中から生まれ出たような仏像たちが大切に守られている。自然に溶け込むようなこのお寺には、他にはないような落ち着きを感じさせるものがあった。
【一条山 大法寺(いちじょうざん・だいほうじ)】
住所:長野県小県郡青木村当郷
TEL:0268-49-2256
入山料:300円 観音堂拝観は別途700円
交通:JR上田駅より千曲バス青木線25分 当郷バス停下車徒歩15分
駐車場:第1駐車場および第2駐車場(無料)
参考:
青木村による紹介ページ
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