五大堂から道を渡り、瑞巌寺の参道へ向かう。
瑞巌寺は伊達政宗の菩提寺として有名であるが、もともとは慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅によって寺院を建立したのが始まりで、延暦寺と肩を並べるほどの規模であったという。
山門。トラックが絶妙なところに止まってしまった(笑)。
まっすぐに伸びた参道。
一切無駄がなく、それでいて奥深い雰囲気を有しているという、いかにも禅寺らしい雰囲気である。
参道の奥まで行くと、半跏の地蔵菩薩がお出迎えしてくれる。
ここで入山料を自動販売機で買う形になる。御朱印は入り口で預けていく。
受付を入ったところのすぐ左手には、北条時頼と法身が出会った場所という法身窟がある。
瑞巌寺は現在、かなりの大規模な保存修理をしていて、建築物に関してはほとんど見ることができない。
入場すると、このとおり、いかにも工事現場らしい雰囲気。工事は平成28年まで続くという。
この見取り図で拝観できるのは赤く塗られているところだけ。ほとんどが工事中あるいは非公開である。古文化財の修理は相当な時間がかかることもあり、やる時は一気にやってしまおう、というのはわかる気がする。
なんとか国の重要文化財の御成門の屋根だけは見えた。
土門拳の「古寺巡礼」にも登場する、印象的な建物である国宝の庫裡もこの状態であった。
こうした状態であることから、瑞巌寺では普段は入ることができない庫裡の内部と、政宗の正室・愛姫の霊屋である寶華殿を特別公開している。
しかし庫裡の内部は、高村光雲の見事な観音菩薩像を拝観できるものの、そこから中に入ると、廊下は上下左右と白いテントのような覆いになっており、そこを抜けると、もう庫裡ではない隣の新しい建物である大書院になってしまうという、公開というにはちょっと、という感じであった。
極彩色の絢爛豪華な襖と思ったら、実は写真を貼ってあるだけというイマイチな大書院であるが、内部では政宗、2代忠宗の大位牌、三代開山木像、そして普段は本堂に安置されている瑞巌寺本尊である聖観音菩薩立像を間近に拝観することができた。
庫裏を出て、トンネルを抜けて寶華殿へ登って行くと、木の間から絢爛豪華な建物が見えた。
寶華殿周辺は撮影禁止であったので、看板の写真をアップしておこう。
外にある建造物でこうして漆と金箔、岩絵の具をふんだんに使っているというのは非常に贅沢だ。政宗がいかに陽徳院を重視していたかが伝わってくる。
桜田淳子の顔が浮かんだりは、特にしなかった。
この一帯は、神奈川県の三浦半島や鎌倉を思わせるような砂岩質の岩が露頭していて、やぐら(洞窟)のようなものもたくさん見受けられる。受付脇の法身窟もそうだが、陽徳院廟へ行くときに通るトンネルもそういう趣だ。そして、岩の上に大きな木が見事なうねりで根を張り巡らせているのが印象的だ。
戻って、宝物館である青龍殿へ。
今回、松島へ来た何よりもの目的は、普段なら33年に一度の開帳である三聖堂本尊・正観音菩薩像を特別に拝観できるからである。本来であれば次の開帳は2039年であり、せっかく仙台に来ているのだからこの機会を逃すことはないというわけだ。
青龍殿の展示室は地下になっている。階段を降りてすぐのところにある木の塊のような仏像がものすごいオーラを放っていた。見ると、円空作の釈迦如来坐像だった。これは全く知らないで訪れただけに、ラッキーな出会いだった。
お目当ての正観音像は展示室の一角に安置されていた。
この正観世音菩薩については、以下のような説明があった。
聖観世音菩薩は美濃源氏の一族である蜂屋(谷)氏が慈覚大師作の観音像を守り、元和元年(1681)宝殿を建て三聖堂蜂屋観音として奉納したもの。現在は瑞巌寺に祀られている。
三聖堂は、現在は瑞巌寺の西隣、円通院の向かい側にある茅葺きのお堂である。
絵葉書もないために瑞巌寺サイトから拝借した小さな画像のみであるが、お顔が少し幼さもあるとてもきれいで穏やかな観音さまであることがわかっていただけると思う。衣紋がとてもきれいで、左腕から条帛が輪を描いて垂れ下がっているのが珍しい。
ずっと拝観していると、その穏やかで優しい雰囲気から、こちらも心穏やかになる、そんな観音様であった。
松島海岸駅に戻り、20分ほど時間があったので、駅前の食堂でおじいさんの入れてくれたコーヒーを味わう。「雨が降ると言っていたけど、天気予報なんて全然当たらんな」とおじいさんはニヤリと笑った。
〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内91
TEL:022-354-2023
拝観料:700円
拝観時間:8:00〜15:30,16:00,16:30,17:00(時期によって細かい設定になっている)
駐車場:周辺の有料駐車場へ(専用駐車場はなし)
[mappress mapid=”14″]
コメント