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願興寺(岐阜県可児郡御嵩町)— かつての繁栄を物語る素晴らしき仏像群

本堂

岐阜県はかつては文化薫る街道沿いの街であった、と、このブログでも繰り返し書くということは、つまりそれは今は昔ということの裏返しでもある。今回取り上げる可児(かに)郡にある中山道の宿場であった御嵩(みたけ)や、信長の重臣・森可成の居城として知られる兼山城や明智光秀の出生地として有力視される明智城のあった地など、やはり優れた文化を持っていたと思われるこの近隣の街も、今では静かな地方の一集落である。

願興寺伽藍の想像図

願興寺伽藍の想像図(Webサイトより)

御嵩は私からすると実家の最寄り駅がある路線である名鉄広見線の寂れた終着駅、というイメージが強い。小学3年生の頃から夏休みになると名鉄電車を1人で乗り回してはあちこちに県内一人旅をしていた時も御嵩にはやってきたが、数十年前もやはり寂しい雰囲気であった記憶がある。

そんなどん詰まりの終着駅のイメージしかなかった御嵩駅の駅前に、岐阜県どころか東海地方では屈指の仏像一大ワールドがあることを知ったのは東京に移ってからである。御嵩の街は、その願興寺の門前町としても栄えていたという。

浄土寺を辞して、三輪にある真長寺に寄って丈六阿弥陀如来を網越しにちらりと拝観して後、時間がありそうだったので願興寺へと電話をかけてみた。女性ご住職が「その時間なら大丈夫だからいらっしゃい」と、いつもながら気っ風のいい返事を下さった。

東海環状道の可児御嵩I.C.で降りると、御嵩の町はすぐである。御嵩駅周辺は昔と基本的には変わらない。駅前はもっと寂れていた感じだったが、道や周辺が多少きれいになったな、という感じである。そして駅のはすむかいの区画にあるのが願興寺である。一昨年に訪れているので2回目ということになる。

大きな屋根を載せた本堂。巨大な姿ながら、どこか崩れ落ちそうなほどの危うさがあり非常に印象的である。

本堂と鐘楼門

(本堂と鐘楼門)

武田信玄による兵火など、度重なる焼失を繰り返した後、現在のものは1581年に民衆によって再建されたものである。こんな巨大なお堂を民衆だけの力で作り上げるとはすごいことだ。いかにこのお寺が信仰を集めていたかということの表れであろう。

境内は広く、いろいろなお堂もあるようだ。石碑も多い。

願興寺石碑

一番左には線刻の不動明王の石仏がある

ご住職はいつものように本堂前で「オォ〜ンコロコロ」と朗々と薬師如来のご真言を上げてくださった。

その本堂に向かって左側に収蔵庫がある。

収蔵庫

収蔵庫に入るとかなり寒い。ひんやりとしている。ご住職はご本尊が入られている厨子に正対して座り、今度は般若心経を上げてくださる。まさに音楽的とでも言えるような美しい響きの般若心経で、思わず聞き惚れてしまう。般若心経はあちこちで耳にしているが、こちらのご住職のものは、その美しい調べもさることながら、切る場所が微妙に違っていたりして興味深い。具体的に言うと、「はんにゃーはーらーみーたーこー」と、よく聞くパターンでは続けて読むところを、「はんにゃーはらーみーたァっ!こー…」とそこで切る。これがなかなかカッコいい。私はお経の内容や教義はよく知らないのでどこで切るのがいいのか知らないが、美しくも厳しさもある朗々とした調べを聞いていると、身も引き締まりつつ本当に心地よくなってくる。

さて、解説していただきながら収蔵庫内をゆっくりと拝観する。

正面に大きな扉の閉じたご本尊の厨子があり、その周囲に日光月光菩薩十二神将四天王、と、並びも並んだり、素晴らしい空間である。しかしこの寺の仏像たちの中で最もよく知られているのは、その須弥壇とは別に、右の角に安置されているこちらの釈迦三尊像であろう。

釈迦如来及び両脇侍像(鎌倉時代)寄木造 玉眼 像高79.6cm(釈迦如来)、45.0cm(脇侍) 国指定重要文化財

釈迦三尊像

(絵葉書より)

像内に寛元二年(1244年)仏師僧覚俊が作ったという銘が遺されているそうだ。非常に珍しい説法印(転法輪印)を結んでおり、胸の前にもってきた両手が特徴的だ。とりわけ左手を返すようにしているところが最もインパクトがある。これは釈迦が説法をしている時の印であり、説明するときに手を動かしている様を表している。

初めて拝観したときは予想していたより小さいな、という感想であったが、こうして再び拝見すると、堂々たるその造形は素晴らしい、と感じる。するりと上へと伸びる両手が美しく、左手にかかった衣の造形も素晴らしい。脇侍のうち普賢菩薩像は先日の「岐阜の至宝」展に出展されていたが、あの時は美江寺観音の存在があまりにも強烈なインパクトだったので、この美しい普賢菩薩像の陰がやや薄かったのは残念だった。

堂内の仏像はあまりにもすごすぎてひとつひとつ取り上げられないが、印象的なのはやはり巨大な四天王像だろうか。

四天王像(平安時代〜鎌倉時代)寄木造 像高242.0cm 国指定重要文化財

増長天、広目天

左:増長天 右:広目天(「岐阜県の仏像」より)

前の増長天と広目天は動きが大きいものの体がやや寸胴な感じで堅めの造形に見える。後ろの多聞天と持国天は邪鬼に乗り、動きは静かだが体はより豊かに表現されているように見える。特に多聞天は獅子噛の造形といい全体的に少し違うようにも見える。時代の違いがあるということだろうか。いずれにしてもかなり巨大で迫力満点である。

持国天と多聞天

(左:持国天、右:多聞天)

十二神将立像(平安時代) 寄木造 像高147.0cm(全像) 国指定重要文化財

十二神将

(「岐阜県の仏像」より)

十二神将というと、一具であっても姿形に至るまでそれぞれの像にかなり個性の違いがあるものだが、こちらの像はコピーした像が違うポーズをとったようによく似ている。こうした像が12体完全に揃っているというのもかなり貴重だろう。丸顔で、なんだかかわいく見えるが、よく見るとすっとした足や甲冑の造形などはとてもいい。

十二神将

(「岐阜県の仏像」より)

この収蔵庫には実際にはいつも11体しかない。なぜなら、その年の干支にあたる神将は本堂へと出張されるからである。年交代制、12年に1回の当番制ということだ。

それにしても巨大な四天王の間に立っていると、等身の大きさがある十二神将でもかなり小さく見える。

阿弥陀如来立像(藤原時代) 寄木造 像高164.0cm 国指定重要文化財

阿弥陀如来立像

(「岐阜県の仏像」より)

中央の須弥壇に向かって左側の壇に載っている。先ほどの釈迦三尊像とはちょうど対面にあたる。来迎相の阿弥陀如来立像というと安阿弥様式の美しいイメージがあるが、この像はどちらかというとかなり堂々としているイメージだ。Y字紋もあるが全体的に衣紋の造形は堅くて形式的だと感じる。

他にもいろいろとゆっくり見切れないほどに仏像が充実しており、この寒さがなければいつまでもいたくなるような空間であった。

本尊の薬師如来は秘仏であるが、願興寺開基1200年を記念して2015年(平成27年)4月第1日曜日(2015年4月5日)のみ開扉されることになったそうだ。何とか予定を合わせて再訪させていただきたいと思う。※エントリ公開当初、西暦年の情報が間違っておりました。お詫びして訂正します。

薬師如来坐像

(寺で販売されている写真より)

大寺山 願興寺(がんこうじ)

〒505-0116 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1377-1
TEL:0574-67-0386
拝観:要予約
拝観料:500円
アクセス:名鉄広見線御嵩駅より徒歩1分
駐車場:お寺の西側から入る形で広い駐車場がある(無料)

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