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円明寺(岐阜県可児市)【前編】— 土岐氏由来の古刹に展開する仏像ワールド

岐阜県可児市は私の出身地である愛知県犬山市と県境を挟んだ隣であることは前回のエントリでも書いたとおりである。私が小学生の頃はまだ可児郡可児町で、市民の私は、「まぁ町民だしねぇ」と子どもらしいバカな考えをしていたら、名古屋のベッドタウンとして人口が急増して可児町から可児市になり、あっという間に犬山市などは抜き去っていったのであった。

地図

(もとの地図はECO兼子のサイトより引用)

そんな可児にも、岐阜県らしくいい仏像がたくさんあるようで、まさに灯台もと暗しであった。

いくつかのお寺を調べて可児市の教育委員会へと電話したところ、日程が合わないところや拝観はお断りというところなど様々な反応であったものの、2つのお寺をオススメして下さった。いつも思うことであるが、教育委員会の文化財担当の方はどこも親切である。

そのうちの1つが円明寺(圓明寺)である。

もう1つのお寺は法要がありその日は対応できないが別の機会ならいつでもどうぞ、と言ってくださったので次回にお願いすることにしよう。考えてみるとこの日は観音菩薩の縁日なのであるが、先ほど訪れた岐阜市福富の浄土寺の方は、この辺りは17日に法要を営む、とおっしゃっていた。地域によって違うのだろう。円明寺にはご快諾いただいた。

願興寺から一山越えると、久々利(くくり)という里へ降りる。土岐源氏の城もあった久々利であるが、私としてはかつてフィールドアスレチックがあった思い出が強く残っている。今となってはどこにあったのかすらわからないが、のんびりとした田園風景が広がる穏やかな雰囲気の里である。

里を南東へと進んでいくと、平地がだんだんと狭くなり川に沿うように山が両側から迫ってくる。そうした中に円明寺はあった。

円明寺石仏

円明寺門前に並ぶ石仏

円明寺は創建は不明ながら平安時代後期には七堂伽藍を整えた大寺院として存在していたようだ。その後、室町時代に焼失、当時の久々利城主であった土岐春頼によって薬師如来を本尊として4年の歳月をかけて再建された。それも荒廃したものの、江戸時代に真言宗西大寺流の義弁上人によって再興され今日に至っている。この近隣での真言宗の寺院は珍しいという。

円明寺山門

ご住職がすぐに対応して下さり、お堂の中へと招き入れて下さった。

本堂を拝観する前に、こちらの仏像では本尊と並んで有名だという地蔵堂の地蔵菩薩を拝観させていただく。

地蔵菩薩立像(平安時代)一木造 像高63.0cm 市指定文化財

地蔵菩薩立像全体

写真でしか見ていない時は独特な尊容だということしか感じなかったが、実際にお会いしてみるとかなりオーラのある地蔵菩薩であった。手先や足の膝から下あたりは修復での後補らしいのが見てもとれるが全体はよく残っていると感じる。

地蔵菩薩像上半身

通肩のようでありながら右肩だけ衣を外しており、二の腕あたりまで下がっているのがかなり珍しい。これは見たことがない造形だ。寄った衣紋の彫りが柔らかくも豊かな衣の雰囲気をよく伝えてきてくれる。卵のようなつるっとした頭と、摩滅しながらも深い瞑想を感じさせる表情は暖かみを感じさせるものがある。かわいい雰囲気もあるが、とてもいい像であると感じた。

木造地蔵菩薩の前には石のお地蔵さん。こちらはかなりかわいらしい。

石造地蔵菩薩坐像(室町時代) 像高36.5cm 市指定文化財

石造地蔵菩薩像

銘文から、1487年に、当時久々利を治めていた久々利頼忠という人物が亡き父のための廟所の本尊として造ったと考えられるそうだ。頭が大きいが、頭部は無くなってしまって後の時代に補修したもののようだ。

地蔵菩薩の両脇には千体地蔵菩薩像(江戸時代・市指定文化財)がぎっしりと並んでいる。

千体地蔵

千体地蔵と言うと、奈良の福智院丈六地蔵菩薩の光背に、やはりぎっしりと並んでいるものを12月に拝見したばかりであるが、こちらの千体地蔵は彩色がきれいに残っており、非常に細かい造形とともにこれだけの数が一面に並ぶと圧巻だ。

さて、本堂をじっくりと拝観させていただく。

本堂内部

天井は高くはないが横に広い、というイメージであった。正面には立派な厨子があり、この扉は閉じられている。こちらには本尊の薬師如来坐像(室町時代・市指定文化財)が収められているが秘仏である。その両側には十二神将たちが並んでいる。

木造十二神将像(江戸時代)未指定

十二神将像

とても愛嬌がある十二神将で、ポージングもなかなかキュートだ。

こちらの因達羅大将ホラ貝を持っているが、みのもんたにちょっと似てる?

因達羅大将

お、マツコデラックスもいる(招杜羅大将)。

招杜羅大将

薬師如来と十二神将が載っている須弥壇の後ろ側には、仏像がこれまたずらりと並んでいる。

愛染明王坐像(江戸時代)寄木造 玉眼 市指定文化財

愛染明王坐像

江戸時代作ということであるが、なかなかよくまとまった造形であり、パッと見ではもう少し昔のものかと思った。よく見ると首が下に少しずれ落ちているのだが、あまり違和感を感じない。

愛染明王近影

近くで見ると、髪の生え際あたりが形式的であるし、髪の造形は簡略化していることもあり、江戸時代というのもなるほど、と思う。

阿弥陀如来坐像(江戸時代)寄木造 市指定文化財

阿弥陀如来坐像

こちらはむしろ愛染明王よりもより古く見える。初見では鎌倉時代っぽく感じたが、どうやら平安時代の仏像を手本にして江戸時代に作られた擬古作らしい。衣紋のはらいといい表情といい、非常に美しい。光背と蓮弁がカラフルで何だか楽しい雰囲気なのがまた独特で良いと思った。

不動明王立像(江戸時代)玉眼 像高95.7cm 市指定文化財

不動明王立像全体

不動明王の火焰光背は迦楼羅(かるら)が造形されていることから迦楼羅火焰とも呼ばれるが、これほどにすごい迦楼羅火焰を見たことはない。

不動明王の迦楼羅炎

立体的ですごい火焰は他でも見るものの、こちらの火焰は頭上で一回転しているではないか!すごい。

こちらの神像は、もともとは円明寺の向かいの山の上にある白山神社のご神体であったという。白山神社の管理は円明寺が行っていたそうで、その縁でこちらにいらっしゃるようだ。暗くていまひとつわかりにくい写真になってしまっているが、裾の部分の彩色か彫刻か、かなり細かくきれいだった。

神像

そして、まだまだすごい仏像たちを拝観させていただくことになるのである。

— 後編へ続く

【平牧山 円明寺(圓明寺)(えんめいじ)】

〒509-0224 岐阜県可児市久々利1135
TEL:0574-64-1700
拝観:要予約
拝観料:志納
アクセス:予約制の予約バスなどがあるが利用は難しい。最寄り駅は名鉄広見線御嵩口駅(2.5kmほど)だが、タクシーを使うことを考えるのであれば、新可児駅からが望ましい。
駐車場:お寺の東側にあるが、事前に連絡を入れる必要がある(無料)

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