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智満寺(静岡県島田市)— 存在感溢れる個性豊かな千手観音

回向柱

静岡県には新幹線や東名高速が通り、東京から西へと向かう人たち、もしくは西から東京へと向かう人たちの多くが通る場所である。かつては東海道という大動脈が通っていたのと同様、今も日本の交通の中核を為す地域であろう。

静岡県は東西に非常に長く、東部は伊豆半島とその周辺、中部は駿河の静岡市周辺、西部は遠江の浜松周辺の3つくらいの大きくわけた地域に分かれている…他県者としてはそんなイメージである。

東部の伊豆のお寺はちょくちょく訪れるのであるが、中部、西部のお寺にはほとんど訪れたことがない。富士市の瑞林寺や静岡駅前の新光明寺と寶台院に訪れたくらいだろうか。古くからの街道筋であるし、きっと素晴らしい仏像も多いであろう。

今回訪れた智満寺は、静岡市から西へ車で1時間ほどのところにある島田市千葉山という山の頂近くにあるお寺である。

ご本尊は60年に1度のご開帳であり、次回は40年後の2054年であるが、今回、特別にご開帳されるという情報が仏友たちから流れてきた。ちょうど夏休みで東京から愛知へと帰省するタイミングだったことも あり、途中で寄ることにした。

智満寺へ辿りつくのは容易ではない。公共交通機関で行く場合、バスは麓までしか行かず、そこからハイキングコースを登るしかない。その道のりも約110分と、この時期にしてはかなり厳しい。自家用車であればお寺まで行けるが、道路がかなり狭い山道であり、駐車場も少ないと聞いた。しかしきっとお寺の方も地元の方も車であろうし、混雑はしていないと聞いたので、車で行ってみることにした。

東京から東名高速で西へと向かい、御殿場ジャンクションで新東名高速に入る。

ナビに智満寺を入れると、藤枝岡部I.C.で降りるように案内される。今回はそのように行ったが、1つ先の島田金谷I.C.まで行った方が近く、便利かもしれない。藤枝岡部ICで降りるとしばらく走ることになる国道1号線のバイパスは混雑する上に、結構な距離を走ることになる。名古屋方面から来るならば迷うことなく島田金谷I.C.で降りることになるだろう。

智満寺へ自動車で上がるには、主に2つのルートがある。南側から谷筋の山道を登るルートと、西側の大井川の河畔から東へと登るルートである。往路はナビに入れた通りに南側からのルートで行くことにした。

智満寺アクセス図

車を順調に走らせていると、路上に左折を指示する看板が出現する。しかし、ナビには直進するように示されている。一旦は直進しかけたが、そういえば智満寺のサイトに「看板通りに左折」、との記事があったことをふと思い出し、ナビは無視して看板通りに進んだ。これが正解だった。あとでご住職に聞くと、ナビが案内する道は県道ではあるが、極端に細いという。自動車で南側から登る方は、ぜひ看板通りに行かれることをお勧めする。

次第に山へと分け入り、新東名の大きな橋の下あたりで、ここも看板通りに広い道から右へ折れて細い山道へと入っていく。

先述の県道よりは広いのだろうが、どうしても山道はかなり細く、ヘアピンカーブが連続するクネクネ道だ。ただ、思っていたほどではなかった。田舎出身で普段から山道をよく走ってきた自分には、すれ違いにやや難儀するが、そこまででもない。もちろん、山道を走り慣れていない方は要注意である。時折、避けあいができる待避所が設けられているが、ちょくちょく地元の軽トラが上から降りてくるので、ゆっくり慎重にいかれることをお勧めしたい。ちなみに私の車はトヨタ・アクアであり小さな車であるが、大きな車の方はかなり難儀するかもしれない。

門前茶屋前の風景

4キロほど上り続けると右側に臨時駐車場があった。そこを過ぎてさらに登ると、視界が開けてとてもいい雰囲気の場所に出る。これが智満寺の入口である門前茶屋というところである。この先にも第1、第2駐車場があると書かれていたので、そちらの方が門に近いのかと思って行ってみたが、そちらはお寺の脇から入る形になってしまうようだったので、Uターンして門前茶屋のところまで戻って駐車。私の訪れた平日3時頃だと、駐車場はほとんど空いていた。

智満寺の石仏の写真

石段を登ると、立派な石仏が並んでおり、その賽銭箱が、なぜか我が家にもあるかわいいブタの貯金箱だった。

石仏前のブタの貯金箱写真

そこからはかなり急な石段が待っている。麓から110分山登りをしてきて着いたと思った最後にこれは相当キツいだろうと思う。

智満寺の最後の石段

智満寺の開祖は、天台宗の高僧であり、慈覚大師円仁の最初の師でもある廣智(こうち)上人。廣智上人は奈良時代〜平安時代の僧であるが、その師は道忠といい鑑真和上の弟子である。つまり廣智上人は鑑真の孫弟子ということになる。はからずも鑑真につながりのあるお寺であった。

廣智上人像

廣智上人像(智満寺販売の解説書より)

円仁は9歳で廣智上人に弟子入りしたが、廣智上人は伝教大師最澄の才を尊敬し、自ら円仁を伴って比叡山に赴き、円仁を最澄に弟子入りさせたという。円仁のその後の天台宗における活躍は既知の通りで、これも廣智上人の徳のなせる技であったのだろう。

その廣智上人が開いた智満寺は名刹として古くから名高い存在であったようで、東国に流された源頼朝や、千葉山という山号のもととなった頼朝の家臣・千葉常胤をはじめ、今川氏徳川家康など、数多くの武将の信仰を集めたという。

急な石段を登り切り、仁王門へ到達する。仁王は江戸時代のものだという。

仁王(吽形)の写真

そのすぐ上には中門が見える。白い結縁のひもが伸びている。

中門へ伸びる結縁の紐

中門をくぐると、非常に印象的なお堂が視界いっぱいに飛び込んでくる。これが智満寺本堂で、安土桃山時代の建築。国指定重要文化財である。茅葺き屋根が急な勾配で、前部の張り出しが少ないせいか、なんだか手塚治虫の作品あたりに出て来そうな、ちょっと独特な雰囲気のお堂である。

智満寺本堂

中に入るとにこやかにお寺の方が受付をしてくださり、最初に外陣にてDVDを見せてくださる。内容は截金(きりかね)の技法についてであった。

今回のご開帳は、境内に生えていた源頼朝お手植えと伝わる巨大な「頼朝杉」が自然に倒れたため、その木を使って弥勒菩薩を制作し、勧請した記念なのであった。この弥勒菩薩には美しい截金が全身に施されている。截金を実際に施している場面というのは初めて見たが、何という細かくも素晴らしい技術であろうか。大いに感動した。

頼朝杉弥勒菩薩

(フライヤより ※この写真は制作中のお姿)

そのビデオを見終わると、いよいよ内陣へと入ることが許される。

内陣に入ると、まず正面に少し高いところの厨子に入った眼光鋭い僧形の仏像が目に飛び込んでくる。

元三大師坐像(鎌倉時代後期)島田市指定文化財 像高84.6cm

元三大師坐像

(智満寺販売の解説書より)

元三大師は、比叡山の中興の祖である高僧・良源のことで、正月三日に亡くなったので元三大師と呼ばれる。普段は秘仏であるが、今回は特別に開帳されている。

元三大師は法力が強く、古くから厄除けの御札にもなり信仰が厚い。そうしたことが吉凶占いに反映され、江戸時代には「元三大師おみくじ」が盛んになったと言われる。智満寺でも古くから元三大師おみくじが木版にて行われていたといい、その版木が展示されている。また、元三大師像の前でおみくじを引くこともできる。ただし古来と同じく、凶の割合が非常に高くなっているというので覚悟の上で…。

千手観音菩薩立像(平安時代)像高184.5cm カヤ材寄木造 国指定重要文化財

千手観音立像

(智満寺販売の解説書より)

本尊の千手観音は本堂内陣の中央、須弥壇に載せられた非常に美しい宮殿に入っている。その扉が開かれていて、約2mほどの距離から拝観できる。照明もあてられ、よく見える。頭上面と周囲の手の先は暗いが、双眼鏡であれば何とか見ることができる。膝から下は厨子の下部にあたり、見ることはできない。色は写真で見ていたように赤っぽい。

何と言っても最初に目がいくのが、合掌する大手にかかる衣である。普通の千手観音は、だいたいが手には衣がかからない。あるいは、かかっていても天衣がかかっているだけのことが多い。しかしこの像は非常に分厚い衣が、それも手首近くまですっぽりと覆っている。よくよく見ると、襟のあたりも立っていて、「上着」そのものがかなり分厚いものであることがわかる。

大手そのものも、一般的な千手観音よりもやや高く合掌しているようにも見える。さらに、よく見ると合掌というよりは、手で花を形作って、中指の指先だけがくっついているという特異的な造形をしている。手首の腕釧はくっついた造形をしている。

手先は破損しやすく後補の可能性もあるかもしれないが、上着は後補ということでもないだろうから、いずれにしても非常に独特な造形である。

千手観音近影

(智満寺販売の解説書より)

写真で見ていた時とはイメージが大きく違うのが、顔である。もっとのっぺりと大きいのかと思っていたが、正面から拝観すると、どちらかというと小顔に見える。スッとしている。角度を変えるとかなりイメージが変わり、最初に内陣に入って斜めから見たときは、密教系の像なのかな、と思ったように横に張った表情にも見えた。

双眼鏡を使うとよくわかるのであるが、表情は非常に柔和で暖かい。少しふっくらとしているが、その美しい雰囲気は、平安初期の造形に通じるものがあるのかな、という気がする。寄木造ということで平安後期に比定されるそうだが、全体を見ても、何だかもっと古く、一木造の造形にも見えてしまう像である。

少し右斜め前から見上げていた時は、こちらを向いているように見えた。やや斜めに瞳が描かれているのかな、と思ったのだが、正面、左斜め前と移動して見上げても、こちらを見て下さっているように見える。”八方にらみ”ではないが、25本の腕だけではなく、祈るたくさんの人たちを、目でもちゃんと見て下さっているということでもあるのだろう。

木造二十八部衆像(時代不詳)

二十八部衆像

(智満寺販売の解説書より)

内陣に入って本尊の千手観音に向き合うと、宮殿および千手観音の圧倒的なパワーとともに、その両サイドの後部壁面の二十八部衆にも惹きつけられるものがある。

一般的には千手観音の前や両サイドに立って並べられているものだが、こちらの二十八部衆は壁に貼り付けられた巨大な舟形光背に”懸けられて”いる。よく見ると、足枘がそのままになっている像もあることから、本来は自立していたのだろうが、何らかの理由でこのような形になったのだろう。省スペース化に成功しているとも言えるが、何とも愛らしい光景でもある。

寺伝では、1615年(慶長15)、家康の側室の「ヲチャアサマ」が寄進したと伝えられる。

阿弥陀如来および諸尊像刻出龕(平安時代)国指定重要文化財 幅14.7cm 奥行き8.75cm 赤栴檀一木造

阿弥陀如来および諸尊像刻出像

(智満寺販売の解説書より)

かなり小さいのであるが、龕の部分からすべてが一木であるというから衝撃的だ。虫眼鏡でもないと細かいところがわからないほどだ。像の後ろ側など、どうやって彫ったのだろうと思う。

今回のご開帳の主役である頼朝杉で作られた弥勒菩薩坐像も非常に美しい。

醍醐寺三宝院の快慶作弥勒菩薩を元としているとのことであるが、造像する時に、たまたま、奈良国立博物館にお出ましになったのはご縁だと思うとご住職。ビデオでも見せていただいた截金のあまりの美しさにも目を瞠る。

改めて本尊の厨子の前に座る。

内陣脇の扉は開けられており、外の木々が目に染みるほどの緑の光を射し込んでいる。堂内を包むのは、遠く聞こえるセミ時雨だけだ。

そんな中で千手観音とたった1人向き合う。60年に1度しか開けられない圧倒的なパワーを持つ千手観音であるが、静謐という雰囲気の中、その目は涼しくも優しく、私との間に流れるのは何もない空気と時間であった。

石段の前に咲くヤマユリ

※千手観音立像の開帳は2015年9月23日(水)まで

千葉山 智満寺(ちまんじ)

〒427-0001 静岡県島田市千葉254
TEL: 0547-35-6819

アクセス: 文中の画像を参照
駐車場:門前茶屋前が最も近く、その奥にも第1、第2駐車場がある。開帳時期はやや下ったところに臨時駐車場も用意されている(いずれも無料)

拝観:特別拝観料800円
拝観時間:9:00〜17:00(受付は16:30まで)※最終日は15:00まで(受付は14:00まで)

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