五浦(いづら、いつうら)というのはどこかで聞いたことがあるな、と思っていたが、東日本大震災の津波で、岡倉天心の六角堂が滅失した、というニュースからだということを思い出すのには、そんなに時間はかからなかった。
その地に岡倉天心を記念した美術館がある、ということは知らなかった。そこで注目の特別展が開かれているということを聞いて、友人と一緒に出かけることにした。
茨城県は仏像拝観や坂東三十三箇所の巡礼でそれなりに馴染みがある。毎回、自家用車を運転して出かけてきた。坂東三十三箇所最難関と言われる日輪寺は茨城でもかなり北にあり、相当に遠かった記憶がある。しかし五浦も同じくらい北で、ほとんど福島県と言ってもよい茨城県の最北端にある。もちろん、五浦は海沿いであり常磐道が近くまで通じているおかげで、山間部の一般道をひたすら走らないと辿りつけない日輪寺よりはるかに楽ではあるのだが、それでも東京からはかなりの遠さであり、2時間から3時間近くかけてようやく到着した。
駐車場には車がほとんどいない。我らのような仏像好き以外にはあまり興味を持たれない特別展なのだろうか、とも思ったが、よくよく考えたら東京を早朝に出てきたので、まだ開館したばかりなのであった。
駐車場から一段上がるとテントが並び、これから出店の準備をしようとしている人たちがいた。土曜ということで、これから混んでくるのかもしれない。
五浦美術館は予想以上にかなり大きなしっかりとした美術館だった。外観の色みは地味だが、中に入ると堂々たるコンクリート梁が目を引く力強いデザインの建物だった。
特別展「岡倉天心と文化財」は、岡倉天心の文化財というものへの視点を軸にして、茨城県内で天心が修復等に関わった仏像の数々の展示、また、修復の詳細について、美術院へとどのようにその意志が受け継がれているのか、という形での展示であり、非常に独特でこだわりのある内容であった。
いくつか、印象に残ったものを挙げていくことにしよう。
長松寺(北茨城市)菩薩立像(平安時代)(伝岡倉天心旧蔵) 像高33.5cm 市指定文化財
もともとはいわゆる「興福寺千体仏」と言われるものであったようで、岡倉天心が旧蔵していたと伝わるものだそうだ。興福寺千体仏とは、廃仏毀釈の影響で、興福寺が寺を維持するために数多くの仏像を売り飛ばし、中にはその仏像が薪にされたりもしていた、というものだ。天心はそうした仏像を目にした時、どのように感じたのであろう。
この仏像を見ても、非常に素晴らしい造形をしている。明治政府の愚策、そしてそこからの集団狂気の結果であった廃仏毀釈の愚かさを、この仏像は両腕も両足も失い、とても穏やかな表情でありながら、強烈に訴えてくる。
熊野速玉大社 国常立命坐像(くにとこたちのみこと) (平安時代)国宝 像高80.3cm
体部のえぐれが非常にインパクトを与える神像であるが、顔の造りの精緻さはすごい。さすが国宝に指定された造形だと感じる。岡倉天心と並び賞される新納忠之助(にいろ・ちゅうのすけ)が、石膏と漆を混ぜ込んだもので修復を試みたものだという。
佐野美術館 大日如来坐像(平安時代)国重文 像高92.2cm
少年のような顔つきの美しい大日如来像。足の衣紋の彫りがかなり浅いのが印象的だ。12世紀の作ということで、定朝様ということになるのだろうが、それにしても浅い。智拳印の指が細く、指が折れそうだ。光背の唐草文のデザインがとてもいい。
岩谷寺(笠間市)薬師如来坐像(平安〜鎌倉時代)国重文 像高84.3cm
少年のような表情が印象的だ。斜めから見ると、お腹もぽっこりしていて何だかかわいらしいと感じてしまう。この像で驚いたのは、螺髪が彫り出し、というところだろうか。整然としている。
また、光背が非常に美しい。8体の飛天が舞っている。薬師如来なら七仏薬師、というイメージだけに、飛天の光背というのも何だかちょっと違和感があるが、像が平安末期から鎌倉初期の作であるのに対して、光背は鎌倉時代の1253年のものであるようで、少しばかりであるが時代が違っているようである。それでも像とあまり変わらない時期の光背であり、台座も光背と同時期のものだという稀有な例だ。
西光寺(常陸太田市) 薬師如来坐像(平安時代) 国重文 像高143.7cm
今回の特別展で最も印象的だったのがこちらの像だ。頭部がやや大きいものの、典型的な定朝様で、どっしりとした雰囲気は非常に存在感がある。この像は何と言っても光背がインパクトが強い。当初のものと考えられていて、それもすごいことなのだが、二重円光背の周りに大きめな12体の飛天を配置するという、他にあまり見たことのないデザインに惹きつけられる。どっしりとした重厚な雰囲気の薬師如来と華やかにかわいらしく飛ぶ飛天との対比が面白い。
楞厳寺(りょうごんじ)(笠間市) 千手観音菩薩立像(鎌倉時代) 国重文 像高193.9cm
噂には聞いていたが、その独特な雰囲気には思わず息を呑んだ。あまり見ないような木の色合いで、イメージとしてはライトグレーな感じだ。表情も個性的で、やや困り顔に見える。体の両側に出ているおそらく34本の脇手が持っている持仏が大きくて、ちょっとゴチャッとしたイメージがあるものの、体幹部を見ると、衣紋はシンメトリーをやや崩したような造形で美しく、腰布は短い。この複雑な衣紋の造形は宋風なのだそうだ。慶派仏師の作と考えられているそうである。
薬王院(水戸市) 十二神将像(鎌倉時代) 県指定文化財 像高75.6cm〜83.0cm
最後の部屋には、これまた重厚な雰囲気の薬師寺(城里町)の薬師三尊と、それを取り囲むようにした十二神将が並んでいる。鎌倉時代らしい造形のこれらは慶派の流れを組んでいると考えられているそうだ。地方仏らしいユーモラスさもありながらも造形のレベルが高く、なるほど、と思わせられた。
これらの他にも数多くの仏像が展示されており、また、修復については、とりわけ、東寺食堂の焼損千手観音菩薩立像の修復についての展示が興味深かった。全体の展示内容はかなり濃かった。東京からはあまりにも遠かったが、これは来た甲斐があった。
ミュージアムショップには仏はんこ師・nihhiさんのグッズが販売されていた。全国区である。
定番の仏ガチャもお出まし。シリーズ1、4、5だった。
ミュージアムショップを出たところには、自分が魅了された神社仏閣についてマーキングしていくという面白い掲示がされていた。さっそくいくつかお寺をマーキング。
美術館を出て駐車場に行くと、もういっぱいであった。やはり土曜日だけはある。
せっかく来たので、美術館からは車で数分の六角堂へ行ってみた。美術館よりも六角堂の方が有名だと思うが、こちらの駐車場はあまり車がいないようだ。
六角堂からの五浦の海の眺め。
福島側。遠くに見えるのは福島県いわき市の海岸線である。
岡倉天心が読書や思索にふけったという六角堂(観瀾亭)は先述の通り津波で滅失したが、すでに再建されていた。写真で見たときはかなり赤いと思ったが、実物はそうでもない。明るい茶色、という感じだった。
六角堂のすぐ上の天心の旧宅でもある「天心邸」前には、津波がどこまで来たか、という表示があり、そのすさまじさに震撼する。
五浦を後にして、帰り道に桜川市に寄った。友人のリクエストがあり、妙法寺にて舜義上人の即身仏を拝観した。口を大きく開けてとてもパワーのある即身仏である。即身仏だけではなく、お堂の仏像は古く造形も素晴らしく、なかなか興味深かった。
妙法寺の鐘楼門の脇にある仏像は、見ての通り上下別れており、実はこれはカプセル状態になっている。即身仏になるためには土の中に数年いるのが一般的だが、この辺りは湿地性ということで、上人はこの中で即身仏になられたという。
お寺の方は非常に暖かく迎えてくださり、いろいろなお話を聞かせていただけた。即身仏というと山形県の寺院であったり、自分の地元から近い岐阜県の横蔵寺などのイメージがあったが、茨城県にもあるとは知らなかった。
茨城の数多くの仏像に六角堂、そして即身仏と、なかなか充実した茨城旅であった。
茨城ということで、帰りのサービスエリアで藁入りの水戸納豆を買って帰った。やはりスーパーで売っているような「3つで100円」の納豆とは全く違ってかなり美味しかった。
〒319-1703 茨城県北茨城市大津町椿2083
TEL:0293-46-5311
開館時間:9:30〜17:00(月曜休館)
入場料:企画展600円 常設展のみ(岡倉天心記念室含む)180円
アクセス:常磐線大津港駅から タクシー(約5分)/北茨城市巡回バスは運行日要注意 /徒歩約45分
駐車場:あり(無料)
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〒319-1227 茨城県桜川市本郷13
TEL:0296-75-1802
拝観料:志納(要予約)
アクセス:JR水戸線岩瀬駅からタクシー15分
駐車場:門前に数台駐車可能(無料)
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