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大智寺(京都府木津川市)―橋柱で作ったという美しい文殊菩薩

同行の友人からの情報で、壽法寺から奈良へと戻る途中、木津川を渡ったすぐ南にある大智寺にも訪問した。

橋のすぐたもとにあるのだが、道も狭くなかなか簡単には行き着けなかった。

大智寺

先ほど渡った泉大橋(国道24号線)の場所には、かつて奈良時代に行基が橋を架けたという。その後、平安時代に橋は洪水で流されたままになっていたが、鎌倉時代に遺された橋柱を使ってこの文殊菩薩を彫り、それを安置する形で開かれたのが大智寺の前身である橋柱寺(きゃくちゅうじ)であるという。現在でも山号は橋柱山(きゃくちゅうざん)といい、その歴史を伝えている。

文殊菩薩坐像(鎌倉時代)像高65.2cm 寄木造 玉眼 (伝・安阿弥作)国指定重要文化財

(差し替え)2023年開催の「聖地 南山城展」(奈良国立博物館)図録より

右手に智恵の剣、左手に絵巻物が載った蓮茎を持ち、蓮華座に座して獅子に乗るという、典型的な文殊菩薩である。写真がこのリーフレットのものしかなく、やや伝わりにくいが、実際には非常に美しい仏像である。

寺伝では安阿弥(あんなみ)、つまり快慶に制作を依頼したということのようだ。実際には快慶作ではないようだが、その美しさといい、金泥の深い味わいといい、確かにそんな雰囲気も漂わせる仏像である。連なる仏師の作なのかもしれない。

着ている衣が珍しく、やや大げさにも映る造形であるが、これは宋風の衣なのだという。

(差し替え)2023年開催の「聖地 南山城展」(奈良国立博物館)図録より

宋風と聞いて思い出したのが、4月に拝見した興福寺南円堂の、運慶作ではないかと昨今注目されている四天王像である。あの四天王もとても派手派手しい甲冑を着ているが、それも宋風を取り入れた表現なのだという。宋というのは派手好みだったのだろうか。

厨子の中に、文殊菩薩に向かって右側の陰に隠れるようにもう一体の仏像がいらっしゃった。

十一面観音立像(藤原時代)一木造 像高109.1cm 一木造 国指定重要文化財

大智寺 十一面観音立像

(リーフレットより)

とても美しい像だ。内刳りを施さない点や、腕釧を彫りだしで作っているところに古様が認められるという。かなり暗いが、ご住職がLEDの大きな懐中電灯を貸してくださり、じっくりと拝観することができた。

その他、文殊菩薩の厨子の後ろの間には阿弥陀如来などの数々の仏像が並んでいて、小さなお寺ではあるが、なかなか充実していた。

大智寺本堂前の苔

本堂前の苔

京都から奈良へ抜ける時は24号線を通りこの泉大橋を何度も渡ってきたのに、大智寺のことは全く知らなかった。奈良や京都は本当に懐が深いな、と改めて感じさせられた。教えてくれた友人に感謝である。

【大智寺(だいちじ)】

〒619-0214 京都府木津川市木津雲村42-1
TEL:0774-72-2500
拝観:要予約
拝観料:300円(25名以上の団体の場合は250円)
アクセス:JR京都線木津駅より徒歩10分
駐車場:門の北側に入口のある駐車スペースがある(無料)

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