置恩寺から再び奈良盆地の中央へとくだり、大和高田市の市街地へと入る。
大和高田市は奈良県では最も人口密度が高いらしい。バブル期の大阪方面へのベッドタウンとして発展した経緯があるというが、中世より、高田城が築かれたり、江戸時代には高田御坊と言われる浄土真宗の大寺院・専立寺が環濠集落のような伽藍を構えたりと、中核都市として過去から充実していたようだ。
長谷本寺は市街地にある。街は古く、あまり区画整理もされておらず道はかなり狭い。お寺の前には国道が通っているが一方通行であり、地図を見て、国道だし広い道だろうと安心して来るとちょっと驚くかもしれない。ちなみに、この通りは最古の官道である横大路である。
今回、あちこちのお寺でお堂の屋根に乗っている瓦製の動物のようなものが気になってよく見てしまう。これは「留蓋」と言い、もともとは雨漏りを防ぐための構造物らしいが、装飾性の高いものが多く、獅子や動物など、様々な形になっている。長谷本寺観音堂の留蓋は、ライチュウのような進化系獅子だった。
お堂の上り口には仏像の足の先だけが置かれていて少し驚いた。これは何だろう?
中に入ると正面にすらりとした観音像がこちらを穏やかに見つめているのが見えた。
十一面観音菩薩立像(藤原時代)一木造 像高156cm 奈良県指定文化財
右手に錫杖を持つ「長谷寺型」と呼ばれるタイプの十一面観音である。
寺伝では、この観音像を造像したのち、同材を使って初瀬の長谷寺十一面観音を作ったということで、そこから長谷本寺と名乗っているという。現在の長谷寺十一面観音は室町時代の作であり、当初像の姿をこの像に見ることができるのではないか、とも言われている。
表情はやや童顔で丸っこく、しかしながら派手さのないとてもきれいな顔立ちをされている。
下半身はすらりとして水を流したようにスマートで、裾の衣紋の最上部にだけ翻波衣紋が見受けられ、名残を残している。岩座に立つところも長谷寺型をよく表している。
ご住職の話では、この像は数年前に大きな修復を受けているのだそうだ。その時に金箔等を貼り直し、全身金ピカで帰っていらっしゃったが、その後に古色仕上げをされたのが現状なのだということだ。足先は、修理前のものは後補で本来の造形と合わなかったために研究しなおして作りなおして取り付けたという。お堂の玄関先にあったのは、修理で取り外された足先だったのだ。
この寺は他にも数多くの文化財となる仏像を保有している。
兜跋毘沙門天立像(藤原時代)ヒノキ一木造 像高112cm(地天女も含む)奈良県指定文化財
兜跋毘沙門天というと、京都・東寺像が著名であり、それ以外だと岩手県の成島毘沙門堂や藤里毘沙門堂なども知られているが、奈良県には兜跋毘沙門天は少ないという。 この像は兜跋毘沙門天にしては小ぶりであり、顔はなかなかユーモラスだ。造形的にはスマートな雰囲気はなく、どちらかというと地方仏的な雰囲気を漂わせていると感じる。
毘沙門天を支える地天女はたくましい感じというよりは、どちらかというと色っぽい。
十一面観音に向かって左の厨子には青面金剛像もあった。
役行者像の前にいる前鬼・後鬼がかなりかわいい。
須弥壇の最前列にいた狛犬は目立たないところに置かれているが、なかなか造形が良い。
ご住職はとても丁寧にいろいろと教えて下さった。「国道で一方通行なのはここだけですよ」と笑いながら、道にまで出て私たちの車を見送ってくださった。
長谷本寺
奈良県大和高田市南本町7-17
TEL:0745-52-1738
アクセス:近鉄南大阪線「高田市」駅より 徒歩6分
駐車場:境内に数台可能(無料)
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