唐招提寺のあとは、近鉄奈良駅近くのさくらバーガーで、東京から来た友人3人と合流してお昼。
ここからは友人たちと奈良でもあまり知られていないような小さな寺院を訪ねて歩いた。
まず最初に訪れたのが、天理市街の西方にある西井戸堂集落にある妙感寺である。周囲の道も狭く、昔ながらの雰囲気のある集落だ。
妙感寺は山邊御縣坐神社(やまべのみあがたにますじんじゃ)という神社の中にある。もともとはこの神社の神宮寺だったという。
境内にあった石仏。日月の刻印もあるが、禅定印でもあり薬壺もないため薬師如来っぽくもない。何の像だろうか。
到着した時にはすでに世話役のお二人が待っていてくださった。お堂を開くと、金色の外幕のかかった厨子の中に、大きな影がすでに見えた。
十一面観音立像(藤原時代)像高263.0㎝(台座含む)244.8㎝(台座含まない) 国重文
何も知らなくても、その堂々たる体躯といい、気高い表情からは感銘を受けたことだろう。
大きな体から水が流れ落ちるような美しい衣紋も素晴らしい。
何も知らなくても、と書いたのは、この仏像はさらに興味深い存在だからである。それは、この仏像がいわゆる「鞘仏」だということだ。
鞘仏とは、体内に古い像やその残骸などを収めた状態で作られているものだ。胎内仏とはまた意味合いが違うのだが、体内に収める、という意味では同じかもしれない。
この仏像の中には、天平時代の塑像の心木(しんぎ)が収められている。
2mを超える心木の上から、鉛筆のキャップのようにすっぽりとそれを覆うようにかぶせられている。さらに、調査によれば、塑像の心木を損なうことのないように造形されているという。また、この像の台座になっている部分はもともとの塑像の心木の部分だという。まさに、新旧合体の仏像なのであった。
この像の足下の衣紋は、キュッと外にふくらんでいるが、これは塑像の心木が太いために、それを削るのではなく、そこに合わせて造形を変えているのだという。変形させるのではなくそのまま残そうという意思が強く働いているということがわかる。
世話役の方が仏像の背面の壁を外して扉を開けてくださった。こんなのは初めてだが、リアルな後光が差してきた。
背面に回ると、さらにその大きさや流麗さがわかりやすい。
衣紋は簡素であるが、お腹あたりの肉付きなどは平安仏を感じさせる量感がある。腕あたりの「彫った」感がまたたまらない。
足元を見てみると、確かに台座の部分はやや古く、その上にのっている仏像とは明らかに時代の違いを感じる。これが塑像の心木の一部だ。しかし大きな違和感がないほどにうまく作られている。
旧像に対する思いの強さの表れそのもののような像だが、本来の像が何の像だったかはもうわからない。十一面観音であったものを写して作られたのかどうかもわからないが、きっと何かの記録をもとに作られているか、すでに破損激しい塑像の修理を諦めてこのような形で再興したとも考えられる。
塑像の十一面観音像は現代には伝わっていない。もし旧像も十一面観音であったならどんな像容だったのだろう。
そのような想像をも超越するかのように静かに、そして堂々と、天平時代からのさまざまな人々の思いと祈りを内に秘めつつ、観音はただそこに立っているのであった。
西井戸観音堂妙感寺
奈良県天理市西井戸堂町339(山邊御縣坐神社内)
TEL:0743-62-0100(天理市教育委員会)
拝観:6/17、7/18、8/18に開帳(それ以外は要予約)
アクセス:近鉄天理線前栽駅下車徒歩30分ほど
駐車場:基本的にはなし
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